トルコ国内
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/30 07:38 UTC 版)
「フラント・ディンク暗殺事件」の記事における「トルコ国内」の解説
ディンクの葬儀は2007年1月23日にクムカプ(アラビア語版)のアルメニア教会で執り行われ、そこには10万人を超す人々が参列した。11時から『アゴス』編集部で行われた式典の後、人々は霊柩車の後を続いてゆっくりとバルクル (en) のアルメニア人墓地まで8キロメートルを行進した。参列者たちは「我々は皆フラント・ディンク」「我々は皆アルメニア人」とトルコ語、アルメニア語、クルド語で書かれた大小様々なポスターやサインを掲げた。ディンクの殺害に抗議する人々の行進はアンカラ、アンタルヤ、ブルサ、イズミル、トゥンジェリ、そしてトラブゾンでも行われ、トルコ政府の責任を追及する声が巻き起こった。 コンスタンディーヌポリ・アルメニア教会総主教のメスロブ2世(英語版)は、トルコのアルメニア人コミュニティに対し15日間の服喪を宣し、コンスタンディーヌポリ全地総主教(英語版)のヴァルソロメオス1世は、「我が国の傑出したジャーナリストの一人であったディンクに対する凶悪な暗殺に、我々は深く心を痛める」と語った。葬儀には宗教者のみならず、各国からのアルメニア人ディアスポラの代表や、トルコ政府を代表したメフメト・アリ・シャヒン(トルコ語版)副首相、アブデュルカディル・アクス(トルコ語版)内相も参列した。トルコとアルメニアの間(英語版)には国交がないにもかかわらず、葬儀にはアルメニア外相のアルマン・キラコスィアン(アルメニア語版)も招待された。葬儀に参列したアルメニア系フランス人(英語版)ジャーナリストのイザベル・コルティアンは、「トルコ人たちがディンクに連帯を示したことは我々に衝撃をもたらした」と書いている。 現場付近のハラスカラジ通り (tr) を行進する葬儀参列者たち 一方で、極右政党民族主義者行動党のデヴレト・バフチェリ(英語版)党首は、葬儀の際に掲げられたプラカードについて、クルディスタン労働者党によるテロの犠牲者の葬儀には参加しなかった者によるパフォーマンスに過ぎない、と批判した。左派共和人民党のトゥライ・ヨジュエルマン議員も、「プラカードの文字は『我々は皆アルメニア人』ではなく『我々は皆人間』とすべきだった。『301の人殺し』と書いたプラカードもあったが、これも間違っている。我々が自身のトルコ人らしさを否定したくないのであれば、刑法第301条もまた否定することはできない」と述べた。 1月27日には、ゲリボル=ラプセキ(トルコ語版)間を運航するフェリーボートが、「我々は皆アルメニア人」というスローガンに反感を抱いた36歳の男によってシージャックされた。男は乗客を降ろして船長を人質に立て籠もったが、2時間後に投降した。2月4日にも、イスタンブールのイスティクラル通り(英語版)で、子供を含めた100人ほどの民族主義団体メンバーがデモ行進を行っている。彼らはディンクの葬儀で掲げられたスローガンに対抗して「我々は皆ムスタファ・ケマル」「我々は皆トルコ人」と書かれたプラカードを掲げた。 メディアの反応として、『ミッリイェト』・『ヒュッリイェト』・『ザマン(トルコ語版)』を始め、国内の各紙がディンクの死を悼む記事を掲載した(『ミッリイェト』のジャン・デュンダル(トルコ語版)と『ヒュッリイェト』のハディ・ウルエンギン (tr) はアルメニア語で)。事件までは約5000部の発行部数であった『アゴス』は、事件後に全国で3万部の発行部数まで増加し、事件直後の号には再版がかけられた。一方で『サバフ(英語版)』紙のコラムニスト、ムラト・バルダクチュ(トルコ語版)、そしてニュースサイト『ジャーナル・オブ・ターキッシュ・ウィークリー』(en) 編集者のセダト・ラチネル(英語版)は、事件を非難しつつも、1921年にベルリンでタラート・パシャがアルメニア人民族主義者のソゴモン・テフリリアン(英語版)に暗殺された事件(ネメシス作戦(英語版))を引き合いにして、アルメニア人のナショナリズムの高まりを警戒する記事を執筆している。 大統領のアフメト・ネジデト・セゼルは、「私はディンクの暗殺に深い悲しみに暮れている。私はこの醜く恥ずべき行いを強く非難する」と述べた。首相のレジェップ・タイイップ・エルドアンはボル山トンネル(英語版)の開通式に出席が予定されていたため、ディンクの葬儀に参列することはできなかった。しかし、エルドアンは「ディンクを狙った弾丸は、我々全員に向けて放たれたものだ」「彼を殺害した黒い手は発見され、処罰される」と放送で語っている。外相のアブドゥラー・ギュルも1月28日に、刑法第301条はトルコの改革に対する妨げになっており、その改正は急務である、と表明した。トルコ大国民議会議長ビュレント・アルンチ(英語版)、参謀総長ヤシャル・ビュユクアヌトも事件を非難した。 ノーベル文学賞受賞者である作家のオルハン・パムクは、事件の2日後にディンクの遺族のもとを訪れ、「刑法第301条を未だに守っている者、彼に反対する活動を行った者、我々の兄弟姉妹を敵であるかのように描いた者、そして彼を標的に選んだ者に最も大きな責任がある。しかし、結局のところ我々全員に、彼の死について責任がある」と語った。1月27日には、事件現場の『アゴス』編集部前で、ディンクの遺体と同じ様に路上に横たわるというパフォーマンスが劇団によって行われ、いくらかの通行人もこれに参加した。
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