トルコ古典音楽
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トルコ古典音楽(トルコこてんおんがく)は、オスマン帝国時代からの伝統をもつ、トルコの伝統的芸術音楽のことであり、トルコでは古典トルコ音楽Klasik Türk Müziği、トルコ芸術音楽Türk Sanat Müziğiなどと呼ばれる。トルコ人にとって「古典」と見なされている音楽。
トルコ古典音楽はアラブ音楽、ペルシア音楽と同じ西アジアの都市の音楽の伝統を受け継いでいる。通常はオスマン語(トルコ語の前身)で歌うが、ペルシア語の歌詞のまま伝えられている声楽曲も残っている。
音楽の特徴
西洋音楽と違う点は、西洋音楽が器楽曲主体なのに対し、トルコ古典音楽は声楽曲主体であるという事である。トルコ古典音楽には非常にたくさんの器楽曲のレパートリーが残されているが、声楽曲の数は器楽曲の数をはるかに、大幅に上回る。声楽曲の数は2万曲を超える。
また、全音を9等分した、コマkoma(ピタゴラス・コンマ、音程比531441:524288に由来)と呼ばれる非常に狭い音程を音楽理論上扱う。微分音である。西洋音楽にはない中立音程などの利用も特徴である。中立音程とは半音程より広く、全音程より狭い音程である。
西洋音楽に似たようなリズムも使うが、西洋音楽にはない、不均等なリズムを使う事も特徴である。良く知られているのはアクサクAksakというリズムである。アクサクは9拍子として表されるが、西洋音楽の9拍子のように9=3+3+3のリズム構造ではなく、9=2+2+2+3という構造の不均等なリズムである。アクサクはトルコ語で「足をひきずって歩く」を意味する。また長大な28拍子であるデヴリ・ケビールDevr-i Kebîrなどもよく使われる。トルコ人もしばしば間違って書いているが、デヴリ・ケビールDevr-i Kebîrは4拍子×7回ではない。28拍は28=14+14=6+4+4+6+4+4という構造になっている。後述する器楽前奏曲ペシュレヴやムラッバア・ベステなどで使われている。
他の西アジアの伝統的古典芸術音楽と比較すると、トルコ古典音楽は楽曲についてマカーム(西アジア音楽の旋法)が規制する部分が弱く、即興と自由を重んじることが特徴であると言われる。
音楽理論
音程
音楽理論は古代ギリシアにまで遡ることが出来る。ピタゴラス・コンマ(音程比531441:524288、約23.4600103846セント)にまで遡るコマkomaと言う音程を扱う。9:8の音程比の全音を9等分した非常に狭い音程である。コマkomaのセントcent値は9:8の音程比の全音、203.910001731セントを9等分し、約22.65666686セントとなる。セント値の数値上は微妙に異なるが、耳で聞いても違いは分からないほどの僅かな差である。トルコ古典音楽で使われるバキイェbakiyeという音程はアラブ音楽の音程バキーヤبقية(「残り」の意。音程比 256:243)に由来するが、そのバキーヤは古代ギリシャの音程レインマλεῖμμα(leimma、「残り」の意。音程比256:243)に由来する。現在のリンマlimma(音程比256:243)である。古代ギリシアの音楽理論をアラブ人がギリシア哲学など共に取り入れ、発展・継承させた。さらにペルシア人に音楽理論が伝わり、トルコ人が受け継ぎ発展させた。現在のトルコ共和国においては、トルコ古典音楽理論は、ヒュセイン・サデッティン・アレルHüseyin Sadettin AREL(1880-1955)、メフメト・スプヒ・エズギMehmet Suphi EZGİ(1869-1962)、サリフ・ムラト・ウズディレキSalih Murat UZDİLEK(1891-1967)らの影響が強い。半音には4コマのバキイェbakiyeと5コマのキュチュク・ミュジェンネプküçük mücennepの2種類がある。全音には9コマのタニニtanînîと8コマのビュユク・ミュジェンネプbüyük mücennepの2種類がある。また12コマもしくは13コマの音程はアルトゥク・イキリartık ikiliと呼ばれる。名前は無いが撥弦楽器タンブールの奏者などは6コマや7コマの音程をウッシャークUşşak・マカームなどで使う。西洋音楽でいう中立音程である。半音より広く、全音より狭い。
ウスール
アラビア語の詩の韻律学に由来するウスールUsûlも重要である。アラビア語は日本語やトルコ語と違って、長母音・短母音の区別がある。長母音とは「アー」のような伸ばす母音、短母音とは「ア」のような伸ばさない母音である。アラブ人が普通に単語を述べるだけで、長音・短音が単語に表れる。アラブ人が普通に文を述べるだけで、様々な長音・短音が文に表れる。アラブ人が普通に文を述べるだけで長短のリズムを感じる。アラブの詩では1行の内「どこに長音・短音があらわれるか」を韻律として定める。そしてアラブ詩独特の韻律学を持っている。その韻律学がペルシアに伝わり、ペルシア詩で使われた。オスマン人はペルシア詩にひかれアラブ由来の韻律学を導入した。トルコ語には本来長母音が無いが、苦心してアラブ由来の韻律学を導入した。オスマン詩での韻律学は、イルミュル・アルーズilm-ül-arûzと呼ばれる。トルコ古典音楽では声楽が中心である。声楽は歌詞を伴う。歌詞の韻律は、イルミュル・アルーズilm-ül-arûzに基づいている。オスマン語の歌詞には長音・短音の定められた韻律がある。その韻律を反映してウスールUsûlがある。ウスールは、例えば小太鼓クドゥム Kudümなどで示される。基本的に低音ドゥムDümと高音テキTekであらわされる。不均等なリズムのウスールはイルミュル・アルーズilm-ül-arûzに由来する。例えば6拍で1周期となるウスール、ユリュク・セマーイーYürük Semâîは6=3+3のリズム構造であるが、その後半を少し伸ばせば、ウスール、デヴリ・ヒンディーDevr-i Hindîとなる。7=3+4のリズム構造である(7=3+2+2のリズム構造でもある)。アクサクAksakというウスールも非常によく使われる。9=2+2+2+3のリズム構造である。不均等なリズムである。また長大な28拍で1周期となるウスール、デヴリ・ケビールDevr-i Kebîrもよく使われる。28=14+14=6+4+4+6+4+4のリズム構造である。それを少し変えればエウサトEvsatになる。26拍で1周期となるウスールである。26=13+13=5+4+4+5+4+4のリズム構造である。
楽器
東アラブ古典音楽と共通する楽器、ヨーロッパのリュートのもとになったウード ud、ツィターのもとになったカーヌーン Kanun、葦笛のネイ Neyなどを使う。ただ、トルコ古典音楽で一番重要な楽器は人間の「声」である。
代表的な楽器には上記以外に以下のものがあげられる。
- タンブール Tanbur (弦楽器。ロング・ネック・リュート。円形の胴体を持つ)
- ケマン Keman (バイオリン、ヨーロッパから入った。現在のトルコ古典音楽では良く使われる)
- ケメンチェ Kemençe (弓奏楽器。膝の上に立てて左手の爪で演奏する)
- レバブ Rebab (胡弓に似た弓奏楽器)
- サントゥール Santur (台形の木箱の上に金属線を張り、ハンマーで打って演奏する楽器。一時期オスマン帝国で大流行した)
- クドゥム Kudüm (二つ一組の小型の太鼓で、撥zahmeで叩いて演奏する打楽器)
- デフ Def / テフ Tef(タンバリンに似た打楽器。太鼓)
メヴレヴィー教団
アラブ音楽・ペルシア音楽の伝統がトルコ古典音楽としてトルコに根付く過程で、13世紀に現在のアフガニスタンで生まれたペルシア系のスーフィー詩人、ジャラール・ウッディーン・ルーミーがアナトリア(現在のトルコ)のコンヤで開いたメヴレヴィー教団が果たした役割は大変大きい。メヴレヴィー教団は音楽(歌と葦の笛ネイと小太鼓クドゥムなどで演奏される)と、音楽にあわせた旋回舞踏によって忘我の境地に至り、自己を消滅させ(ファナー)、スーフィーの目標である神との合一をはかろうとする神秘主義教団である。歴史的には多くのトルコ古典音楽の作曲家、演奏家がメヴレヴィー教団に所属していた。ブフーリーザーデ・ムスタファ・ウトゥリー・エフェンディBuhurizâde Mustafa Itrî Efendi、ハマーミーザーデ・イスマイル・デデ・エフェンディHamâmîzâde İsmâil Dede Efendi(1778-1846)、デッラルザーデ・イスマイル・デデ・エフェンディDellâlzade İsmail Dede Efendi(1797-1869)、ゼキャーイー・デデ・エフェンディZekâî Dede Efendi(1897没)などトルコ古典音楽史上重要と見なされる作曲家は大体、メヴレヴィー教団員である。
声楽曲の形式
キャールKâr:声楽最高の形式。長大な声楽曲。作曲家の腕の見せ所でもある。
ベステBeste:古典的な長大な声楽曲。大ウスールBüyük Usûl(16拍以上の長いウスール)が使われる。4つの楽句からなるムラッバア・ベステMurabbâ Besteと、2つの楽章からなるナクシュ・ベステNakış Besteにさらに分けられる。ゼンジールZencîrという120拍で1周期となるウスールを使うムラッバア・ベステもある。ハマーミーザーデ・イスマイル・デデ・エフェンディHamâmîzâde İsmâil Dede Efendiが作曲したMisâlini ne zemîn ü zaman görmüştür(TRTレパートリー番号7733)がそれである。
アウル・セマーイーAğır Semâî:アウルAğırは、トルコ語で「重い」の意。テンポの遅い声楽曲。10拍で1周期のウスール、アクサク・セマーイーAksak Semâîか、6拍で1周期のウスール、センギーン・セマーイーSengîn Semâîが使われる。ヒサルHisarマカームのアウル・セマーイーDil-î pür ıztırâbım nevce-i seylâbdır sensiz(TRTレパートリー番号3427)は有名なアウル・セマーイーのひとつ。ウスールは10拍で1周期となるアクサク・セマーイーAksak Semâî。
ユリュク・セマーイーYürük Semâî:6拍で1周期のウスール、ユリュク・セマーイーYürük Semâîが使われる声楽曲。6拍で1周期のウスール、ユリュク・セマーイーYürük Semâîと、6拍で1周期のウスール、センギーン・セマーイーSengîn Semâîは違うウスールである事に注意が必要である。センギーン・セマーイーSengîn Semâîの方が遅いテンポとなる。センギーンSengînはペルシア語で「重い」を意味する。トルコ古典音楽の文脈で「重い」はアウルAğırにせよ、センギーンSengînにせよ、テンポが遅い事を表す。ユリュク・セマーイーYürük Semâî形式の声楽曲は、2つの楽章からなるナクシュ・ユリュク・セマーイーNakış Yürük Semâîが多い。ニハーヴェンディ・ケビールNihâvend-i Kebîrマカームのユリュク・セマーイーRencîde sakın olma nigâh eylediğimden ey rûhleri mâhım(TRTレパートリー番号8841)は有名なユリュク・セマーイーのひとつ。詩はエンヴェリーEnverî(Hocazâde , Karakız Mehmet)のもの。作曲はハマーミーザーデ・イスマイル・デデ・エフェンディHamâmîzâde İsmâil Dede Efendi。この歌はナクシュ・ユリュク・セマーイーである。
シャルクŞarkı:短い声楽曲。作曲家ハジュ・アーリフ・ベイHacı Ârif Beyは得意とし、多数のシャルクを作曲した。小ウスールKüçük Usûl(15拍以下のウスール)が使われる。8拍で1周期となるウスール、ドゥエキDüyek(8=4+4のリズム構造)や9拍で1周期となるウスール、アクサクAksak(9=4+5=2+2+2+3のリズム構造)、10拍で1周期となるウスール、ジュルジュナCurcuna(10=5+5のリズム構造)などが良く使われる。セギャーハSegâhマカームのシャルクOlmaz ilaç sinei sad pareme(TRTレパートリー番号8483)は有名なシャルクのひとつ。ハジュ・アーリフ・ベイHacı Ârif Beyが作曲し、ウスールは10拍で1周期となるジュルジュナCurcuna。詩はトルコで有名な詩人ナムク・ケマルNamık Kemalのもの。
器楽曲の形式
ペシュレヴPeşrev:ファスルFasılと呼ばれる組曲の最初に演奏される器楽曲。通常大ウスールBüyük Usûl(16拍以上の長いウスール)が使われるが、小ウスールKüçük Usûl(15拍以下のウスール)が使われる事もある。通常4つの楽章(ハーネhâne)からなり、各ハーネの終わりにはテスリムteslimという同じ旋律が演奏される。
サズ・セマーイーシSaz Semâîsi:大規模でもなく小規模でもない中規模の器楽曲。10拍で1周期のウスール、アクサク・セマーイーAksak Semâîが使われる。4つの楽章(ハーネhâne)からなり、各ハーネの終わりにはテスリムteslimという同じ旋律が演奏される。全体を通して、10拍で1周期のウスール、アクサク・セマーイーAksak Semâîが使われるが、第4ハーネのみ6拍で1周期のウスール、ユリュク・セマーイーYürük Semâîが使われる。
タクスィームTaksim:楽器の即興演奏。楽器奏者の腕の見せ所。自由リズムで演奏される。拍節的リズムでは演奏されない。
非ムスリムの貢献
トルコ古典音楽と言うが、トルコ共和国の領土内のみで演奏された訳ではない。現在ギリシャ領になるテッサロニキでも、オスマン帝国時代にはトルコ古典音楽が演奏されていた。ムスリムの作曲家が多いが、非ムスリムの作曲家のトルコ古典音楽への貢献も無視できない。ムスリムであるスルタン・セリム3世はユダヤ教徒のタンブール奏者で作曲家、タンブーリー・イサク・エフェンディTanburi İsak Efendi(1745-1814)に撥弦楽器タンブールを習っていた。ザハリヤZaharyaはギリシャ正教徒の作曲家である。彼の作曲したヒジャズHicazマカームのユリュク・セマーイー形式の歌Terkeyledi gerçi beni ol mâh-cemâlim(TRTレパートリー番号10651)はトルコ古典音楽の重要なレパートリーのひとつである。ハンパルスム・リモンジヤンHamparsum LİMONCİYAN(1768-1839)はアルメニア正教徒である。スルタン・セリム3世の求めに応じ、ハンパルスム譜という楽譜を考案した。作曲家でもある。ジュゼッペ・ドニゼッティ Giuseppe Donizetti (1788-1856)はイタリア人である。シェヴケフザーŞevkefzâマカームのペシュレヴ(レパートリー番号E3194)を作曲している。オスマン帝国の軍楽隊の指導をしていた。ちなみに彼の弟ガエターノ・ドニゼッティ Gaetano Donizetti はイタリアのオペラの作曲家である。
楽譜
アラビア語で書かれた音楽書で、楽譜に関する試みは西洋で楽譜が成立する以前より存在した。イブン・スィーナーの治癒の書(キターブ・アッシファー كتاب الشفاء)には楽譜のアイデアが記されている。また、サフィーアッディーン・ウルマウィー(1294年没)のキターブ・アルアドワール كتاب الادوار في الموسيقى(旋法の書)では楽譜が実際に書かれた。オスマン帝国時代、ポーランド系の小姓、アリ・ウフキー・ベイAli Ufkî Beyは「器楽歌謡集成Mecmûa-i sâz ü söz」を記し、当時の器楽曲、声楽曲を楽譜で残した。現在では残っていない貴重なものである。西洋の楽譜にならったものであるが、西洋の楽譜と違いがある。当時の右から左へ書くオスマン語に従い、右から左へ進む五線譜である。また東ヨーロッパにあったモルドヴァ公ディミトリエ・カンテミールDimitrie Cantemirは「Kitab-ı İlm’il-Musıki ‘alâ Vechi’l-Hurûfât」という音楽書を書き、独自の楽譜を考案し、17〜18世紀に属する約350曲の器楽曲を楽譜で残した。約50年後、詳細がほぼ知られていないメヴレヴィー教団のデルヴィシュと思われるケヴセリー・ムスタファKevserî Mustafaという人物が、ディミトリエ・カンテミールの著作にさらに190曲の器楽曲を追加したケヴセリー集成Kevserî Mecmuasıを作成した。アルメニア人ハンパルスム・リモンジヤンHamparsum LİMONCİYAN(1768-1839)はスルタン・セリム3世の求めに応じて、ハンパルスム譜という楽譜を作った。しかし、オスマン帝国は長らく西欧と密接な接触をしていたにもかかわらず、いくつかの根付かなかった試みを除いて、20世紀に入るまで古典音楽は楽譜によって採譜されることはなかった。これは、音楽家たちが、楽曲を師匠から弟子へと稽古により伝授され、記憶されることによってのみ伝えられるものと考えており、記憶している楽曲の多さが音楽家のステータスとなることさえあったためである。そのため、トルコ古典音楽は500年以上の伝統をもつにもかかわらず、現在聞くことができる音楽の多くは新しい時代に作曲されたものが多い。
日本におけるトルコ古典音楽
日本では、ほぼトルコ古典音楽が聴くことはできないが、サントゥーリー・エトヘム・エフェンディ(サントゥーリー・エトヘム・ベイ) Santuri Ethem Efendi / Santuri Ethem Bey(1855年 - 1926年)作曲のシェヘナーズ・ロンガ Şehnâz Longa というロンガLonga形式の短い器楽曲が、女子十二楽坊によりなぜか「自由」という曲名を付けられ演奏され、テレビCMで放送され流行したことがあった。
トルコ古典音楽の作曲家
- ガーズィー・ギライ Gazi Giray(16世紀末)
- ソラックザーデ Solakzade(17世紀前半)
- 作品にニーシャーブール・ペシュレヴ(Nişâbur Peşrev)など。
- ハーフズ・ポスト Hafız Post(1630年 - 1694年)
- ブフーリーザーデ・ムスタファ・ウトゥリー・エフェンディ Buhurizâde Mustafa Itrî Efendi(1640年 - 1711/1712年)
- ハーフズ・ポストの弟子で、詩人、作曲家、メヴレヴィー教団員。千以上の作品を作った多作家だが、現在では四十作が伝えられているのみ。メフメト4世の頃の音楽家(正確には五人のオスマン皇帝に仕えていた)。メヴレヴィー教団にとって重要な、儀式音楽セギャーハ・アーイーンSegâh Âyinを作曲した。ネヴァーNevâマカームでの大作の声楽曲ネヴァー・キャールNevâ kârも彼の重要な作品である。
- アフメト・チェレビー Ahmed Çelebi(17世紀後半)
- 作品にセギャーハ・セマーイー(Segâh Semâî)など。
- デルヴィーシュ・ムスタファ Derviş Mustafa(17世紀後半)
- 作品にニハーヴェンド・ペシュレヴ(Nihavend Peşrev)など。
- カンテミルオール Kantemiroğlu(1673年 - 1723年)
- モルダヴィア公ディミトリエ・カンテミールのトルコ名。オスマン帝国の圧力のためにイスタンブールに行かざるをえなかったが、滞在中にオスマン音楽を学んだ。彼のサズキャールSazkâr・マカームによるペシュレヴはトルコ古典音楽の世界でよく知られている。ウスールは64拍で1周期のハーヴィーHâvî(レパートリー番号E2761)。音楽書「Kitab-ı İlm’il-Musıki ‘alâ Vechi’l-Hurûfât」を執筆し、独自の楽譜を考案、当時知られている多数の器楽曲を楽譜に書き残した。
- シェリフ・チェレビー Şerif Çelebi(18世紀前半)
- 作品にラースト・ペシュレヴ(Rast Peşrev)など。
- セリム3世 Sultan III. Selim(1761年 - 1808年)
- オスマン帝国の第28代スルタン。古典音楽を数多く作曲し「セリム3世楽派」の祖とみなされた。新たにマカーム・スージディルアーラーSûz-i Dil-ârâを作った優れた音楽家だった。マカームを作ることが出来るのは優れた音楽家の証である。ユダヤ教徒のタンブール奏者、タンブーリー・イサク・エフェンディTanburi İsak Efendiにタンブールを習っていた。メヴレヴィー教団員でもある。
- ハマーミーザーデ・イスマイル・デデ・エフェンディ Hamâmîzâde İsmâil Dede Efendi(1777/1778年 - 1845/1846年)
- ハンパルスム・リモンジヤン Hamparsum Limoniciyan(1768年 - 1839年)
- アルメニア人。作曲家として知られている以外に、有名な歌手でもあった。イスタンブール生まれ。アルメニア教会で音楽教育を受け、セリム3世の宮廷で活躍した。セリム3世の求めに応じて1813年から1815年の間の2年間でハンパルスム譜という文字譜を考案した。
- デッラールザーデ・イスマイル・デデ・エフェンディ Dellâlzade İsmail Dede Efendi(1797年 - 1869年)
- デデ・エフェンディの著名な弟子で、師につぐ大作曲家。メヴレヴィー教団員。美声で知られた。スーズナクSûzinakマカームのベステ、Sînede bir lahza ârâm eyle gel cânım gibi(TRTレパートリー番号10040)は良く知られている。この歌はオスマン帝国時代の有名な詩人ネディームNedîmの詩をベステ形式の声楽曲にしたものである。
- タンブーリー・ビュユク・オスマン・ベイ Tanbûrî Büyük Osman Bey(1816年 - 1885年)
- 音楽家の家庭に生まれ、8歳から宮廷に仕えた作曲家。タンブール奏者。サバSabaマカームのペシュレヴSaba Peşrevを作曲した。ウスールは28拍で1周期のデヴリ・ケビールDevr-i Kebîr。
- セルミュエッジン・ルファット・ベイSermüezzin Rıfat Bey(1820年 - 1888年)
- 宮廷でムアッジン頭や音楽師範を務めた作曲家・歌手。ヒジャズHicazマカームのシャルク、Gülşeni hüsnüne kimler varıyorを作曲した。ウスールは9拍で1周期となるアクサクAksak。詩はムアッリム・アフメト・フェイジー・ベイMuallim Ahmet Feyzî Bey。TRTレパートリー番号5716。
- ゼキャーイー・デデ・エフェンディ Zekâî Dede Efendi(1824年 - 1897年)
- トルコ古典音楽最後の大作曲家ともされる。メヴレヴィー教団員。宗教音楽に優れる。デデ・エフェンディとデッラールザーデに学び、ムハンマド・アリー朝とイスタンブールの宮廷で活躍した。ヒジャズキャールHicazkârマカームのユリュク・セマーイー形式の歌Bülbül gibi pür oldu cihan nağmelerimdenを作曲した。TRTレパートリー番号2653。
- ハジュ・アーリフ・ベイ Hacı Ârif Bey(1831年 - 1884年/1885年)
- 声楽曲の作曲家として有名な音楽家。美声をもって知られ、長く宮廷に仕えた。シャルクŞarkı形式の声楽曲を多く作った。イスタンブール生まれ。
- シェヴキ・ベイ Şevki Bey(1860年 - 1891年)
- 美声で知られ、ハジュ・アーリフ・ベイに学び声楽曲を多く残した。若くして亡くなった。
- ハーリド・レミ・アトル Hâlid Lemi Atlı(1869年 - 1945年)
- トルコ共和国期まで生き抜き、数多くの声楽曲を残した作曲家。
- タンブーリー・ジェミル・ベイ Tanburî Cemil Bey(1871年 - 1925年(1916年とも))
- タンブール奏者という意味の肩書きをもち、トルコ音楽史上最大の名手と呼ばれた音楽家。
関連項目
トルコ古典音楽
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ハティプ・ザーキリー・ハサン・エフェンディ Hatip Zakiri Hasan Efendi(1545年 - 1623年) ガーズィー・ギライ Gazi Giray(16世紀末)クリミア・ハン国のハン。作品にマーフル・ペスレヴ(Mahur pesrev)など。 ソラックザーデ Solakzade(17世紀前半)作品にニーシャーブール・ペスレヴ(Nişâbur pesrev)など。 ハーフィズ・ポスト Hafiz Post(? - 1693/1694年) ブフーリーザーデ・ムスタファー・ウトリー Buhurizâde Mustafa Itrî(1640年 - 1711/1712年)ハーフィズ・ポストの弟子。 アフメト・チェレビー Ahmed Çelebi(17世紀後半)作品にセギャーフ・セマーイー(Segah semai)など。 デルヴィーシュ・ムスタファ Derviş Mustafa(17世紀後半)作品にニハーヴェンド・ペスレヴ(Nihavend pesrev)など。 カンテミルオウル Kantemiroğlu(1673年 - 1723年)モルダヴィア(ルーマニア)公ディミトリエ・カンテミールのトルコ名。公子としてイスタンブール滞在中に数々の曲を作曲。独自の楽譜を考案、自作曲を書き残した。 タンブーリー・ムスタファ・チャヴシュ Tanburî Mustafa Cavuş(18世紀前半) シェリフ・チェレビー Şerif Çelebi(18世紀前半)作品にラースト・ペスレヴ(Rast pesrev)など。 セリム3世 Sultan III. Selim(1761年 - 1808年)オスマン帝国の第29代スルタン。古典音楽を数多く作曲し「セリム3世楽派」の祖とみなされた。 ハマーミーザーデ・イスマイル・デデ Hamamizade İsmail Dede(1777/1778年 - 1845/1846年)古典音楽最高の作曲家で、「デデ・エフェンディ Dede Efendi」として知られる。マフムト2世の宮廷に仕えた。 ハンパルスム・リモンジュヤン Hamparsum Limonicuyan(1768年 - 1839年)アルメニア人。ハンパルスム譜を考案。 デッラールザーデ・イスマイル・エフェンディ Dellalzade Ismail Efendi(1797年 - 1869年)イスマイル・デデの最も著名な弟子で、師につぐ大作曲家。美声で知られ、宮廷声楽家になった。 タンブーリー・オスマン・ベイ Tanburî Büyük Osman Bey(1816年 - 1885年) ゼカーイ・デデ Zekai Dede(1824年 - 1897年) ハジュ・アリフ・ベイ Hacı Arif Bey(1831年 - 1884年) シェウキ・ベイ Şevki Bey(1860年 - 1890年) レミ・アトル Lemi Atlı(1869年 - 1945年) タンブーリー・ジェミル・ベイ Tanburi Cemil Bey(1871年 - 1925年(1916年とも))
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