第二次大戦中の銃剣道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:29 UTC 版)
1940年(昭和15年)、紀元二千六百年記念の橿原神宮大会から名称を「銃剣道」に改め、翌1941年(昭和16年)、大日本銃剣道振興会が設立された。 戦前の銃剣道は、名称変更された後も技法面では銃剣術と変わらず、教育機関でも指導された。太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1944年(昭和19年)ごろから主に男性を中心に行われた竹槍の訓練(女性は薙刀の訓練が主であった)も、その内容は槍術ではなく銃剣術であった。このため現在でも年配者には、戦前の銃剣道や竹槍訓練を「銃剣術」および「銃槍術」と呼ぶことがある。 1945年(昭和20年)に敗戦すると、GHQ指令により武道が禁止された。
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