太平洋戦争下
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戦中期には国策落語としてさまざまな戦時色の濃い作品が作られた。特に1941年10月に古典落語が禁演落語で禁じられるようになってからは多くの新作が生まれたが、戦後も演じられたのは3代目三遊亭金馬の「防空演習」、2代目円歌の「木炭車」ぐらいが残る程度で、あとはほとんど消滅した。
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太平洋戦争下
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1941年の太平洋戦争開戦後にNHKでは「ニュース歌謡」を放送し、『宣戦布告』(野村俊夫、古関裕而)、『皇軍の戦果輝く』(同)、『タイ国進駐』(島田磬也、山田榮一)などを放送し、『英国東洋艦隊潰滅』(高橋掬太郎、古関裕而)は、のちにサトウハチローが新たな詞を付けて、『断じて勝つぞ』としてもレコードかされた。また内閣情報局は「敵性音楽」の排除を目指し、1943年には政府の広報誌『週報』で曲名のリストを掲げ、鼻声でも歌ってはならぬなどと通知した。また1943年には大政翼賛会により「国民の心を明るくのびのびとさせるような運動」としてを国民皆唄運動が展開され、各地の運動では『海ゆかば』、『この決意』(大政翼賛会標語、片山頴太郎)を必唄歌曲とされ、愛国百人一首の海犬養岡麿に山本芳樹の曲を付けた『みたみわれ』も指定歌曲とされた。これらの唄は『週報』にも掲載される。 一方で、出征兵士を思わせる小唄勝太郎『明日はお立ちか』(佐伯孝夫、佐々木俊一)もヒットする。終戦近い1945年には、『南洋航路』(1940年)の歌詞を変えた『ラバウル小唄』が、特に南方から撤退する兵士たちに広く好まれ、その地域ごとに土地の名前を入れ替えた替え歌で歌われた。
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