太平洋戦争中と占領期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:29 UTC 版)
「日本の獣肉食の歴史」の記事における「太平洋戦争中と占領期」の解説
太平洋戦争が始まる頃から、内地では徐々に食料の欠乏が始まった。そのため、特に下層階級が経済的理由で内臓料理を食べることが多くなった。例えば第2次大戦中および占領期の北海道の赤平炭鉱では、鉱夫がウマの内臓を煮て食べたという証言がある。一方、(大和民族の話ではないが)1942年(昭和17年)に発表された金史良の小説『親方コプセ』の中で、朝鮮人土工が密造酒を飲みながら臓物を食べる様子が描写されている。また、普通なら捨てるか肥料にするはずの臓物を、朝鮮女工が貰い受けて煮て食べるということもあった。1941年(昭和16年)10月には農林省告示第783号「牛及豚ノ内臓等ノ最高販売価格」が出されているが、佐々木道雄はこの内容は当時すでに牛や豚の内臓が食用として流通・販売されていたことを反映しているとしている。 一方で占領期の都会では、降伏直後から1949年(昭和24年)ごろまであった闇市などで犬や猫などを含む様々な獣肉が売られることもあった。例えば焼いた動物の臓物が「焼き鳥」として売られていた(ただし「牛豚の臓物の焼き鳥」自体は大正時代から存在する)。1946年(昭和21年)の『朝日新聞』には東京で野犬、畜犬を区別なく捕まえてその肉を闇市で売りさばき、3万円余を荒稼ぎした男が逮捕される記事が掲載されている。在日韓国人の金文善は著書『放浪伝』の中で、大阪の闇市で臓物を出汁と具にした「びっくりうどん」が売られて日本人に食べられているのを目撃したが、そのあまりの不潔ぶりに在日韓国人として臓物を食べなれている金でさえ食べられなかったと語っている。
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