太平洋戦争の戦地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 15:28 UTC 版)
レイテ湾とその周辺海域は、太平洋戦争中に世界海戦史上最大の激戦となったレイテ沖海戦の舞台として有名である。またダグラス・マッカーサー率いるアメリカ軍部隊は1944年10月20日レイテ湾に上陸、ここからフィリピン奪回の第一歩を記した。(なお23日にダグラス・マッカーサーがセルヒオ・オスメニャとともに上陸。)その後フィリピンにおける決戦・レイテ島の戦いが全島を戦場として起こったが、日本軍は物資補給・兵員補給の輸送船が途中で沈められ、補給を断たれた8万人以上の兵士が戦死や病死・餓死でほぼ全滅するという惨敗を喫した。生き残った兵士はセブ島などへ個々に脱出したが、生還率はわずか3%ともいわれる。また数多くの島民が日本軍とのゲリラ戦に参加したほか、戦闘の巻き添えで一般人も犠牲となった。この凄惨な戦いは大岡昇平のレイテ戦記ほか戦記小説に詳しい。島内には、マッカーサーのフィリピン帰還・上陸を記念したモニュメントが上陸地点のパロ海岸にあるほか、日本軍兵士の慰霊碑が各所にある。
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