海戦史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:56 UTC 版)
詳細は「海戦」を参照 古代から中世に至るまで、海戦の舞台は主に地中海であった。これは、地中海で早くから海上交易が始まり、周辺の国家にとっては制海権を確保することが重要だったためである。風向きの安定しない地中海では近代に至るまでガレー船が用いられた。戦闘の方法は衝角戦と斬り込みであった。レパントの海戦(1571年)はガレー船同士の最後の海戦となったが、軍艦に大砲が積み込まれ、砲撃戦が海戦を制する契機となった。 大航海時代になると帆船による外洋航海技術が発展し、軍艦も漕ぎ手の必要がなく大砲を多数積み込めるガレオン船が主流となった。当時の大砲は有効射程距離も短く、砲弾も炸裂弾ではなかったために船体破壊能力は低く、トラファルガーの海戦(1805年)までは数百メートルまで接近して撃ち合う戦法が用いられた。それでも砲弾の威力は船体よりもマストや帆綱の破壊、切断に効果を発揮することが期待され、衝角を用いた戦法も船体そのものへの破壊の効果を期待され、すでに艦載砲が炸裂弾を発射するようになっていた19世紀まで使用され続けた。 19世紀に入ると、蒸気船が登場して速力や機動性が向上し、艦載砲の射程距離や砲弾の破壊力が増大した。軍艦には鋼鉄の装甲が施され、日露戦争における日本海海戦(1905年)などの影響もあり大艦巨砲主義が進んだ。第一次世界大戦では、ユトランド沖海戦(1916年)で超弩級戦艦同士の砲撃戦が行われ、潜水艦による通商破壊戦が総力戦の遂行に影響を与え戦局全体を左右した。 20世紀前半には航空機が発達した。第二次世界大戦の真珠湾攻撃(1941年)やマレー沖海戦(1941年)で戦艦に対する航空機の優位が明らかとなり、その後は航空母艦を中心とした機動部隊が海戦の中心となった。第二次世界大戦後は主力艦隊同士の艦隊決戦は発生していないが、フォークランド戦争(1982年)では対艦ミサイルが戦果を挙げている。
※この「海戦史」の解説は、「軍事史」の解説の一部です。
「海戦史」を含む「軍事史」の記事については、「軍事史」の概要を参照ください。
- 海戦史のページへのリンク