海戦後の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:12 UTC 版)
7月14日に閑山島海戦での脇坂軍の敗北を知った秀吉は、積極的な艦隊出撃による海上決戦を禁止し、水陸共同による沿岸迎撃作戦への転換を指令し、武器弾薬や沿岸防備の増強を行った。この戦術転換は当時の水軍からすれば有効に機能しており、以降の李舜臣による水軍攻撃は成果が上がらなくなり被害が大きくなり出撃も減ることとなる(釜山浦海戦、熊川海戦、第二次唐項浦海戦、場門浦・永登浦海戦)。
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