海戦前の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:00 UTC 版)
アメリカ軍は空母エンタープライズ、サラトガ、ワスプを主力とする第61任務部隊(F・J・フレッチャー中将)をこの方面に進出させた。 8月19日、第二艦隊第二水雷戦隊旗艦神通(司令官田中頼三少将)に護衛され、一木支隊の増援部隊がトラックを出発した。同日、外南洋部隊および田中司令官は江風に対し、陽炎と任務を交替するよう下令した。江風は船団・護衛部隊(第二水雷戦隊)から分離してガ島海域へ先行、燃料不足の陽炎とガダルカナル島周辺警戒任務を交代した。 日本側は一木支隊出発後に川口支隊の輸送を始めていたが、20日に偵察機がガダルカナル島南東で空母を含む艦隊を発見したため、輸送を一時中止した。そして、ガダルカナル島海域の航空優勢の確立のため、第三艦隊はトラック入港を取りやめ南下した。さらに、トラックにあった第二艦隊(近藤信竹中将)も同日出撃した。戦艦「陸奥」は第2駆逐隊(村雨、五月雨、春雨)のトラック島到着を待ってトラックを出撃した。 8月20日、アメリカ軍は既に完成させていたヘンダーソン飛行場に航空隊を進出させることを試み、護衛空母ロング・アイランドが軽巡洋艦ヘレナと駆逐艦一隻の護衛のもと、戦闘機F4Fワイルドキャット19、急降下爆撃機SBDドーントレス12機を輸送した。日本軍はこれをアメリカ機動部隊と誤認し、輸送船団を一旦後退させた。 詳細は「イル川渡河戦」を参照 8月21日、一木支隊はヘンダーソン飛行場を目指してアメリカ海兵隊に攻撃を行ったが、戦死者約800名を出して敗退、海兵隊の戦死者は約40名だった。ラバウル基地の第十一航空艦隊と第二十六航空戦隊は米軍空母を求めて攻撃隊を発進させたが、何の成果もなかった。 8月22日未明、江風は単艦でルンガ泊地へ突入。米駆逐艦ブルー、ヘンリーと交戦、魚雷6本を発射して1本をブルーの艦尾に命中させた(ブルーは翌日処分)。 南雲忠一中将率いる第三艦隊は空母を主戦力と明確に位置づけた本格的な機動部隊であったが、日本海軍の規定では、南雲より先任である第二艦隊の近藤信竹中将が第三艦隊を統一指揮することになっていた。しかし、近藤司令部と南雲司令部はお互いの情報交換・戦術のすり合わせを一度も行ったことがなかった。 第三艦隊は珊瑚海海戦での修理を終えレーダー(21号電探)を装備した翔鶴に将旗を掲げた2つの集団で構成され、空母3隻と護衛部隊からなる本隊、第十一戦隊(比叡、霧島)・第七戦隊(重巡洋艦、鈴谷、熊野)・第八戦隊(重巡洋艦、利根、筑摩)の前衛艦隊に分かれていた。 そして、従来の円形陣形とは異なり、前衛艦隊は空母部隊から100 - 150海里前方に進出して横一列陣形(艦間隔10 - 20km)をとって索敵と敵機の攻撃を吸収する役割を担い、空母はその後ろから縦に連なって続き、真上から見ると「丁」の字の陣形をとった。 いわば囮(おとり)となる前衛艦隊将兵からは不満が続出したが、指揮官達は新陣形・新戦法を検討する時間も与えられないまま最前線へ進出した。機動部隊決戦に向けて前衛と本隊の役割および位置関係についての戦術を説明する機会や時間がなかったため、やむを得ず航空機から筒を投下するという方法で各隊・各艦に配布している。 第一航空戦隊の空母瑞鳳、第二航空戦隊(空母:飛鷹、隼鷹)は練度不足のため、日本で訓練を続けている。瑞鳳は7月31日にドックから出渠したばかりで出撃準備が終わらず、二航戦の龍驤が瑞鳳の代艦として第一航空戦隊と行動を共にすることとなった。
※この「海戦前の動向」の解説は、「第二次ソロモン海戦」の解説の一部です。
「海戦前の動向」を含む「第二次ソロモン海戦」の記事については、「第二次ソロモン海戦」の概要を参照ください。
- 海戦前の動向のページへのリンク