第3艦隊
第三艦隊
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1942年(昭和17年)7月14日附で、日本海軍は第三艦隊を新編(司令長官南雲忠一中将、参謀長草鹿龍之介少将)。第二航空戦隊は旧第四航空戦隊(隼鷹、龍驤)と竣工した隼鷹型航空母艦2番艦「飛鷹」をもって再建(飛鷹は7月31日附で編入)。第二航空戦隊司令官は角田覚治少将(前職第四航空戦隊司令官)。他に宮本鷹雄少佐(重巡衣笠砲術長)、岡田恰少佐、奥宮正武少佐等が二航戦参謀に任命された。8月7日にガダルカナル島の戦いが始まると、出撃準備に間に合わなかった瑞鳳型航空母艦1番艦「瑞鳳」の代艦として「龍驤」が第一航空戦隊3番艦となり、「瑞鳳」は臨時に第二航空戦隊3番艦となる。「龍驤」は翔鶴型航空母艦2隻(翔鶴、瑞鶴)と共に出撃したが、8月24日の第二次ソロモン海戦で沈没した。 10月中旬、作戦行動中に第二航空戦隊旗艦「飛鷹」で機関故障が発生、旗艦を「隼鷹」に変更、「飛鷹」はトラック泊地に回航された。このため第二航空戦隊は10月26日の南太平洋海戦や11月中旬の第三次ソロモン海戦を空母1隻(隼鷹)で戦うことになった。 1943年(昭和18年)5月22日、第二航空戦隊司令官は角田覚治中将から酒巻宗孝少将(前職第五十航空戦隊司令官。後任は城島高次少将)に交代。 6月10日、横須賀を出港した「飛鷹」は米潜水艦トリガーに雷撃されて大破、修理に従事する。6月12日、第五十航空戦隊(龍鳳、鳳翔)より「龍鳳」を第二航空戦隊に編入。二航戦は空母3隻(隼鷹、飛鷹、龍鳳)となったが「飛鷹」大破のため(前述)、実質的には空母2隻(隼鷹、龍鳳)だった。第二航空戦隊はニュージョージア島の戦いに伴い所属航空隊を陸上基地に派遣、消耗を重ねた。 9月1日、酒巻宗孝少将は第二航空戦隊司令官から第二十六航空戦隊司令官へ転任。空母「翔鶴」初代艦長や第十一航空戦隊司令官等を歴任した城島高次少将(当時第五十航空戦隊司令官)が、後任の第二航空戦隊司令官に補職される。奥宮正武少佐(第二航空戦隊参謀)も第二十六航空戦隊参謀となったが、9月21日附で第二航空戦隊参謀に復帰している。 1944年(昭和19年)1月上旬、再びラバウル方面に所属航空隊を派遣するが、激戦により消耗を重ねた。3月10日、空地分離方式により第二航空戦隊に第六五二海軍航空隊が編入される。城島少将が二航戦司令官と第六五二海軍航空隊司令を兼務する。3月29日、鈴木正一中佐が第六五二海軍航空隊司令に補職されたことで、城島少将は兼務を解かれた。同年6月下旬のマリアナ沖海戦で「飛鷹」は沈没(6月20日)。 7月10日、第二航空戦隊は解隊され、「龍鳳」は第一航空戦隊に編入、「隼鷹」は第四航空戦隊に編入、書類上在籍していた「飛鷹」は第三艦隊附となる。同日附で城島高次少将(二航戦司令官)は第二十一航空戦隊司令官へ転任。二航戦参謀の寺崎隆治大佐や奥宮正武少佐も、新たな任地に転じた。
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