第三艦隊 (日本海軍)とは? わかりやすく解説

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第三艦隊 (日本海軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 03:25 UTC 版)

第三艦隊(だいさんかんたい)は、大日本帝国海軍の部隊の一つ。略称は3F[1]。常設だった第一艦隊第二艦隊と違い、必要に応じて編制・解散される特設艦隊であったため、日露戦争から太平洋戦争までの間に六代にわたって編制と解散を繰り返した。


注釈

  1. ^ 南清艦隊(巡洋艦高千穂、巡洋艦千歳、砲艦宇治、砲艦隅田)は揚子江流域、南清、台湾沿海の巡航警備を担当した[4]
  2. ^ 1915年(大正4年)12月1日から適用された艦隊平時編制における第三艦隊は「本邦及支那沿海並揚子江流域」を担当し、第五戦隊(戦艦、巡洋戦艦 4隻)、第六戦隊(戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦 4隻)、第七戦隊(巡洋艦、海防艦、砲艦 8隻)、第三水雷戦隊(巡洋艦1隻、駆逐隊4隊)であった[10]。年度戦時編制では、第一線兵力として第一艦隊(主力部隊)と第二艦隊(遊撃部隊)を展開し、予備隊として第三艦隊を持ち、局地防備部隊として各鎮守府(要港部)部隊を活用するという計画であった[10]。旧式軍艦を基幹とする第三艦隊は、決戦艦隊の予備隊・局地の防備警戒・上陸掩護などの任務を担当した[11][12]
  3. ^ なお、当時の日本海軍は複数国との戦争を想定していなかった[15]。対ロシア戦において、極東ロシア領沿岸の作戦を担当していたのは第三艦隊であった[16]。中国との有事では、敵艦隊をすみやかに撃滅した後、第三艦隊が中国沿海や揚子江流域を制圧し陸軍の攻略作戦を支援する[17]。対アメリカ戦では、第二艦隊が在東洋の米国艦隊を撃滅し、第三艦隊が日本陸軍と協同してフィリピンルソン島攻略作戦を実施、その後、第一艦隊と第二艦隊が太平洋を西進してくる米国主力艦隊に決戦を挑む作戦構想であった[18]。昭和期の作戦構想でも、第三艦隊はフィリピン方面の作戦を担当することになっていた[19]
  4. ^ 1919年(大正8年)8月9日、遣支艦隊は第一遣外艦隊に改編された[24]。1927年(昭和2年)5月16日、第二遣外艦隊が新編された[25]。第二遣外艦隊は1933年(昭和8年)4月20日附で解隊され、大部分は旅順要港部の麾下となった[26]
  5. ^ 第三艦隊は艦隊平時編制標準に含まれていたが、実際には存在しなかった[31]
  6. ^ 大海令第一号[40] 一 帝国ハ北支那ニ派兵シ平津地方ニ於ケル支那軍ヲ膺懲シ 同地方主要各地ノ安定ヲ確保スルニ決ス/二 聯合艦隊司令長官ハ第二艦隊ヲシテ派遣陸軍ト協力シ 北支那方面ニ於ケル帝国臣民ノ保護並ニ権益ノ擁護ニ任ゼシムルト共ニ 第三艦隊ニ協力スベシ/三 聯合艦隊司令長官ハ第二艦隊ヲシテ派遣陸軍ノ輸送ヲ護衛セシムベシ/四 細項ニ関シテハ軍令部総長ヲシテ之ヲ指示セシム 
  7. ^ 第三艦隊は第一遣支艦隊に、従来の第四艦隊は第三遣支艦隊に改編され内南洋方面を担当する第四艦隊が独立、第五艦隊が第二遣支艦隊に改編された[55][56]
  8. ^ 及川中将は支那方面艦隊司令長官に専任、第一遣支艦隊司令長官は谷本馬太郎中将[59]
  9. ^ 井上少将は支那方面艦隊参謀長に専任、第一遣支艦隊参謀長は堀内茂禮少将[59]
  10. ^ 蘭印攻略に従事する日本陸軍は、第16軍(司令官今村均陸軍中将)、第2師団第48師団第38師団坂口支隊第5飛行集団第3飛行集団であった[79]
  11. ^ 1942年1月4日、妙高はダバオのマララグ湾在泊中にB-17型重爆の空襲で中破し、佐世保に戻って修理をおこなった[99]
  12. ^ 二水戦の第8駆逐隊(大潮朝潮満潮荒潮)は南方部隊本隊に区分[98]。二水戦の第18駆逐隊(不知火陽炎[100]は第一水雷戦隊司令官大森仙太郎少将の指揮下に入り、南雲機動部隊警戒隊として真珠湾攻撃に参加した[101]
  13. ^ 四水戦の第4駆逐隊(野分萩風舞風)は南方部隊本隊に区分されていた[98]
  14. ^ 第三艦隊の所属水上艦艇は第二艦隊に集められ[112]、残存空母(雲龍、天城、葛城、隼鷹、龍鳳、信濃〈11月中旬竣工〉、第601海軍航空隊)は第一航空戦隊に集められて連合艦隊付属となった[113]。1945年(昭和20年)1月1日、一航戦は第二艦隊に編入され[114]、2月10日には大和型戦艦大和が加わる[115]。一航戦の大和が坊ノ岬沖海戦で沈没すると、1945年(昭和20年)4月20日附で解隊された[116]第四航空戦隊(航空戦艦伊勢日向)は11月5日附で第二遊撃部隊(第五艦隊基幹)に編入されたあと、11月15日附で第二艦隊に編入された[113]。ただし、第二遊撃部隊(第五艦隊司令長官)の指揮下で行動した[117]。1945年(昭和20年)2月5日に第五艦隊が解隊され第十方面艦隊が新編されると[118]、第四航空戦隊も第十方面艦隊に編入された[119]。2月10日附で四航戦に軽巡大淀が編入され、同時に連合艦隊附属となった[120]。四航戦と第二水雷戦隊北号作戦によりシンガポールから内海西部へ帰投する[120][121]。その後、3月1日附で解隊された[122]
  15. ^ 1943年6月10日、第二航空戦隊の空母飛鷹が潜水艦トリガーに雷撃されて大破、代艦として龍鳳は第二航空戦隊に編入された。

出典

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  3. ^ 付表及付図」 アジア歴史資料センター Ref.C05110104100 9枚目
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