日本海海戦とは?

日本海海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/13 14:30 UTC 版)

日本海海戦(にほんかいかいせん)は、1905年明治38年)5月27日から5月28日にかけて、日本海軍連合艦隊ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊の間で行われた海戦である。日本ではこのロシア側の艦隊を「バルチック艦隊」と呼ぶ事が通例となっており、本稿でもこの呼称を用いる。


注釈

  1. ^ 一部特務艦を除く。
  2. ^ 特務艦を含む。
  3. ^ 自沈を含む。
  4. ^ a b 戦時国際法により交戦国の軍艦は中立国の港・泊地・領水への停泊が24時間までに限定される。退去しない場合は戦争の継続中、中立国に抑留される。
  5. ^ この結果は世界を驚愕させ、タイムズ紙など有力紙が確認のため発表を遅滞させるほどであった。
  6. ^ 「対馬海峡か北海道かで東郷の決心はゆらいだ」とする見解は多い(野村実『日本海海戦の真実』など)。一方で「東郷の決心がゆらいだという証拠は無い」(別宮暖朗『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦』など)とする見解もある。
  7. ^ 「哩」は邦訳ママ。概数値なのでどのマイルでも大した相違はあるまい。
  8. ^ 実際は暗号で、無線ではなく手交および有線。本電を含め、日本海海戦の暗号については、宮内寒彌『新高山登レ一二〇八』(1975年)の第三章にあるが、同書は暗号学的な考察については長田順行の『暗号』を引いている。
  9. ^ (アテヨイカヌ)ミユトノケイホウニセツシ(ノレツヲハイ)タダチニ(ヨシス)コレヲ(ワケフウメル)セントスホンジツテンキセロウナレドモナミタカシ
  10. ^ 日本国内から外洋の状況を受ける体制が組まれていた(→岡田武松)。
  11. ^ 「笠置」の報告書によれば27日朝にそれぞれの艦が認識している所在位置を出し合ったがバラバラであった。「千歳」から「笠置」には潮流を計算に入れているかという質問もされている。
  12. ^ 戦闘中、東郷はZ旗を掲げたが、この後、日本海軍が重要な海戦においてZ旗を掲げるという先例となった。「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」の言葉は戦いの直前に東郷が考案発表したものではない。各艦に配布されていた信号簿ではZ旗に対応する文言として以前から記載されていた。考案者は艦隊参謀をはじめ諸説あるが、東郷でないことは確実である。
  13. ^ 明治初期から中期の日本は文明国として欧米列強に比肩するため国際法にきわめて忠実であった。
  14. ^ 戦艦オリョールに乗っていた造船技師ウラジーミル・コスチェンコによる。
  15. ^ ただし凪の状態では海面が砲弾の速力を減じるので、上部構造物の防弾壁を効果的に配置でき、復元力を高めることができるので、この構造は必ずしも欠陥とは言えない。だが冬季の日本近海の荒天を前提とした航行を想定した日本艦船との戦闘では不利に働いたといえる。
  16. ^ 戦艦オリョールに乗っていた造船技師ウラジーミル・コスチェンコによると司令塔のスリットの上部に取り付けられた防弾庇が甲板で炸裂した砲弾の破片を反射して司令塔内に誘引した。
  17. ^ 「三笠」爆発沈没事故の原因は不明であり、下瀬火薬原因説の他にも水兵の飲酒説など諸説がある。
  18. ^ 公刊戦史の他、一般書のほとんどでも駆逐艦とされている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 西村誠 『日本海海戦』 双葉社、2004年4月30日。ISBN 4-575-47639-0 [要ページ番号]
  2. ^ 『インド洋で「露艦隊見ユ』(日本経済新聞2014年10月6日朝刊36面)では、アンツィラナナで酒場を開き、目撃したロシア艦隊の動向を海軍省に打電し感謝状を受けた、赤崎伝三郎(天草出身)の記事が掲載されている。
  3. ^ a b 日本海海戦当日朝敵艦発見時に於る哨艦配備図』 アジア歴史資料センター Ref.C05110095900 
  4. ^ 第1編 露国増遣艦隊に対する作戦準備/第2章 連合艦隊一般の行動』 アジア歴史資料センター Ref.C05110083400 、5枚目
  5. ^ 第12編 台湾総督府海軍幕僚の施設/第2章 敵情監視』 アジア歴史資料センター Ref.C05110129300 
  6. ^ ノビコフ・プリボイ 『ツシマ:バルチック艦隊の壊滅』  上脇進訳、原書房、1984年6月、pp. 277-278, 281。
  7. ^ 第3編 通信/第3章 無線電信』 アジア歴史資料センター Ref.C05110109800 、71・72枚目
  8. ^ 映画・日本海大海戦
  9. ^ 長田順行 『暗号』 ダイヤモンド社、1971年、pp. 146-147。
  10. ^ 日本海海戦電報報告1 (1)』 アジア歴史資料センター Ref.C09050518500 、24・25枚目
  11. ^ 第3艦隊司令官海軍少将山田彦八の提出せる第7戦隊の日本海海戦に於る戦闘報告』 アジア歴史資料センター Ref.C05110089300 
  12. ^ アジア歴史資料センター・日露戦争特別展
  13. ^ 第47号 信濃丸艦長海軍大佐成川揆の提出せる仮装巡洋艦信濃丸の日本海海戦に於る戦闘報告』 アジア歴史資料センター Ref.C05110090000 
  14. ^ 信濃丸戦時日誌 (2)』 アジア歴史資料センター Ref.C09050449000 、24枚目
  15. ^ 日本海海戦電報報告1 (1)』 アジア歴史資料センター Ref.C09050518500 、2枚目
  16. ^ ゲームジャーナル編集部 「日本海海戦」『坂の上の雲5つの疑問』 並木書房、2011年12月
  17. ^ 日露戦役参加者・史談会記録・日本海々戦(極秘)(1)』 アジア歴史資料センター Ref.C09050718500 
  18. ^ 高山正之『朝日新聞の魂胆を見破る法』テーミス 2018年 pp.36-37
  19. ^ 木村勲著 『日本海海戦とメディア』 講談社 2006年5月10日第1刷発行 ISBN 4-06-258362-3[要ページ番号]
  20. ^ 半藤・戸高 2012, p. 129.
  21. ^ 半藤・戸高 2012, p. 130.
  22. ^ 半藤一利著『日露戦争史』第3巻の279頁によると、日本海海戦で丁字戦法のことが公に出る初見は海戦終結2日後の5月30日の東京朝日新聞『連合艦隊参謀談・日本海海戦談』であるが、談話を述べたとされる連合艦隊参謀は、この時点では全員前線の鎮海湾にいて本土に戻っておらず、取材を受けられる状況ではなかった。また海戦2日後で、未だ戦時中であるにも関わらず、大勝した海戦の勝因を簡単に公表しているという不自然さもあり戸高一成は著書『日本海海戦かく勝てり』で、実施する予定でしなかった連携水雷作戦を隠すために、黄海海戦で諦めた丁字戦法をいわば「囮」として公表したではないか、と述べている。[要ページ番号]
  23. ^ 明治三十六年版の『海軍艦砲操式』、明治三十五年版の『砲術教科書』などによる。[要文献特定詳細情報]
  24. ^ 伊藤和雄「まさにNCW であった日本海海戦」、『日米ネービー友好協会会報35』、日米ネービー友好協会、2009年1月。[リンク切れ]





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