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東郷正路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 08:25 UTC 版)

東郷 正路
とうごう まさみち
生誕 1852年4月19日
越前国
死没 (1906-01-04) 1906年1月4日(53歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1877年 - 1906年
最終階級 海軍中将
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東郷 正路(とうごう まさみち、1852年4月19日嘉永5年3月1日) - 1906年1月4日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。幼名は哲吉

略歴

福井藩士・東郷三郎右衛門(号は晴霞)の息子として生まれる。1870年大坂陸軍兵学寮に入学するが中退し、1878年7月、海軍兵学校(海軍兵学寮入学、4期)を卒業し、少尉補任官。「筑波艦」、「乾行艦」、「摂津」、「龍驤」などに乗組む。さらに、「扶桑分隊長中艦隊司令官付、常備小艦隊参謀、海兵分隊長、「八重山」副長、「金剛」副長、海軍参謀部第2課員、「千代田」副長、「満珠」艦長などを歴任。

日清戦争時は「鳥海」艦長、「西京丸」艦長を務めた。「天城」艦長、「武蔵」艦長などを経て、海軍大学校で選科学生として学んだ。「八重山」艦長、「済遠」艦長、呉鎮守府参謀長、「八雲」回航委員長、同艦長、海兵教頭などを歴任し、1902年5月、海軍少将に進級した。海兵校長を務め、日露戦争では第6戦隊司令官として出征し、黄海海戦日本海海戦に参戦した。1905年11月、海軍中将となり、第4艦隊司令官、将官会議議員を務めたが、1906年1月に死去。

その生前の功績により、1907年10月、嗣子東郷安に男爵が遺贈された[1]

栄典・授章・授賞

東郷正路
位階
勲章等

親族

脚注

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、139頁。
  2. ^ 『官報』第701号「叙任」1885年10月30日。
  3. ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
  4. ^ 『官報』第3783号「叙任及辞令」1896年2月12日。
  5. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  6. ^ 『官報』第5790号「叙任及辞令」1902年10月21日。
  7. ^ 『官報』第6729号「叙任及辞令」1905年12月4日
  8. ^ 『官報』第6754号「叙任及辞令」1906年1月8日。
  9. ^ 『官報』第1925号「叙任及辞令」1889年11月27日。
  10. ^ 『官報』第3430号「叙任及辞令」1894年12月3日。
  11. ^ 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
  12. ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。p4
  13. ^ 『官報』第4754号「叙任及辞令」1899年5月10日。
  14. ^ 『官報』第6271号「叙任及辞令」1904年5月28日。
  15. ^ 『官報』第7171号・付録「辞令」1907年5月28日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。



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