アリヨール (病院船)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 04:01 UTC 版)
アリヨール | |
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基本情報 | |
船種 | 貨客船 |
船籍 | ![]() ![]() |
所有者 | ロシア義勇艦隊 大日本帝国海軍 東洋汽船 |
運用者 | ![]() ![]() ![]() |
建造所 | ホーソン・レスリー社[1] |
母港 | オデッサ港/オデッサ 東京港/東京都 |
信号符字 | LBJW[2] |
IMO番号 | 20584(※船舶番号)[2] |
改名 | イーグル[2][3]→アリヨール→楠保丸 |
経歴 | |
進水 | 1889年9月26日[2][3] |
竣工 | 1890年2月24日[2][3] |
その後 | 1916年4月ロシアに返還後解体[2][3] |
要目 | |
総トン数 | 4,528トン[1] |
純トン数 | 2,564トン[3] |
垂線間長 | 131.67m[2] |
型幅 | 14.64m[2] |
型深さ | 7.35m[2] |
主機関 | 三連成レシプロ機関 2基[3] |
推進器 | 2軸[3] |
出力 | 938NHP[2] |
速力 | 19ノット[1] |
アリヨール (Орёл)[3]はロシア義勇艦隊の鋼製汽船[1]。
船歴
「アリヨール」はイギリスのホーソン・レスリー社で建造され[1]、1889年9月26日に進水[2][3]、1890年2月24日に竣工した[2][3]。進水時は「イーグル (Eagle)」という船名だったが[2][3]、その後「アリヨール」に変更された。竣工後はオデッサ・ウラジオストク間の定期船として運行された[1]。
日露戦争が起こると「アリヨール」は病院船に改装され、バルチック艦隊と共に極東へ向かった[1]。1905年5月27日、「アリヨール」は五島列島西方沖で日本の仮装巡洋艦「信濃丸」に発見された[4]。「信濃丸」はその後ロシア艦隊と遭遇し、敵発見と通報している[4]。同日、「アリヨール」は日本の仮装巡洋艦「佐渡丸」の臨検を受け、ロシア軍が拿捕したイギリス船「オールドハミヤ」の船長らを乗せていたことから拿捕された[5]。
その後、「楠保丸(くすほまる)」と改名される[1]。
「楠保丸」は呉で病院として使用された[6]。平時になると、維持費がかかることから日本海軍は「楠保丸」と同く元義勇艦隊の船である「笠戸丸」は民間に貸し出すことにし、一か月の使用料として「笠戸丸」4200円強、「楠保丸」500円強を払うと申し出た東洋汽船に対して7月17日に両船の維持が命じられた[7]。
「楠保丸」はハワイへ航海したが、石炭消費量は多く、貨物積載量は少ない採算の取れない船だとしてすぐに返還された[6]。その後1916年4月にロシア帝国に返還され、その後解体された[2][3]。
脚注
参考文献
- 宇佐美昇三『笠戸丸から見た日本 したたかに生きた船の物語』海文堂出版、2007年、ISBN 978-4-303-63440-7
- 外山三郎『日露海戦史の研究 下 戦記的考察を中心として』教育出版センター、1985年
- 松井邦夫「絵で見る日本船史70 楠保丸(くすほまる)」海と安全 第二八九号(第十七巻二月)、日本海難防止協会、1983年、22ページ
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