ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー
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ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー(ズィノーヴィイ・ペトローヴィチ・ロジェーストヴェンスキイ;ロシア語:Зиновий Петрович Рожественскийズィノーヴィイ・ピトローヴィチュ・ラジェーストヴィンスキイ;ラテン文字表記の例:Zinovij Petrovich Rozhestvenskij、1848年10月30日(グレゴリオ暦11月11日) - 1909年1月1日(グレゴリオ暦1月14日))は、帝政ロシア海軍の軍人、最終階級は少将。日露戦争においてバルチック艦隊(第二・第三太平洋艦隊)の司令長官を務めた。
- ^ 読売新聞、2007年10月25日27面
- ^ ロシア人研究者コンスタンチーン・サルキソフが読み解いている。鈴木康雄訳『もうひとつの日露戦争』朝日選書:朝日新聞出版、2009年
- ^ 当初海軍省は石炭問題を重要視していなかった
- ^ 日本海海戦に関するノンフィクションであるアレクセイ・シルイッチ・ノビコフ プリボイ著、上脇進訳『ツシマ〈上〉バルチック艦隊遠征』には、「艦隊内に日本海軍の駆逐艦がバルチック艦隊の航路上のあらゆる所に潜伏して襲撃の機会を窺っているという噂が流れた」という記述があり、噂を信じたために不安によって精神病を発症した将兵に関する記述、噂を信じたために確認できないあらゆる海上の移動物体が日本海軍の艦艇に見えて実際に砲撃してしまう記述等、その不安の度合について推し量れる記述がある。
- ^ これが後の日本海海戦の敗北の伏線にもなったといわれる
- 1 ジノヴィー・ロジェストヴェンスキーとは
- 2 ジノヴィー・ロジェストヴェンスキーの概要
- 3 脚注
固有名詞の分類
ロシア帝国の提督 | エヴゲーニイ・アレクセーエフ ニコライ・フォン・エッセン ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー ヴィリゲリム・ヴィトゲフト ステパン・マカロフ |
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