外国人墓地
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外国人墓地(がいこくじんぼち)は、19世紀から20世紀前半の日本において居留地に在住し、そこで死亡した外国人を埋葬するための墓地。
- 1 外国人墓地とは
- 2 外国人墓地の概要
- 3 著名な外国人墓地
外国人墓地
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悟真寺の敷地周辺には日本人の墓地の他に、「唐人墓地」、「オランダ人墓地」、「ロシア人墓地」、「稲佐国際墓地」の4つの外国人墓地が存在する(稲佐悟真寺国際墓地)。これらは現在も悟真寺住職により管理されており、仏教寺院境内に仏教・道教・キリスト教・イスラム教の異なる宗教の墓地が併存する珍しい形態となっている。 1602年(慶長7年)、長崎在住の唐人らは、貿易のため長崎を訪れていた商人や、明からの政治亡命者の死没者のための墓地開設を当時の長崎代官であった末次平蔵に請願。その結果、菩提寺であった悟真寺の隣接地に唐人墓地が開設された。1649年(慶安2年)には、それまで水葬とされていた在留オランダ人の死没者の埋葬が許されるようになり、本寺の唐人墓地の一角にオランダ人墓地が開設された。 以降、1858年(安政5年)にはロシア人を埋葬するロシア人墓地が、翌1859年(安政6年)にはオランダ人・ロシア人以外の外国人を埋葬する稲佐国際墓地が開設された。なお、後者は長崎港東岸の外国人居留地と遠く離れており不便なことから、1861年(文久元年)には大浦国際墓地が居留地近隣に開設されている。
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