横浜市内の他の外国人墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 09:53 UTC 版)
「横浜外国人墓地」の記事における「横浜市内の他の外国人墓地」の解説
根岸外国人墓地(中区仲尾台)。1861年(文久元年)山手の横浜外国人墓地が手狭になったため設けられた横浜市営墓地。観光スポットにもなっている山手に比べ、市民の間でも知名度は低い。第二次世界大戦後米軍に接収され、アメリカ軍兵士と日本人女性との間にできたものの、遺棄された嬰児が多く埋葬されている。 余りの荒廃ぶりに、市議会でも取り上げられ、その後横浜市立仲尾台中学校と横浜市立立野小学校の生徒・児童らにより整備され、管理人も置かれた。 中華義荘(中区大芝台)。1871年(明治4年)山手の横浜外国人墓地に埋葬されていた華人、華僑が移されたものである。南京墓地とも呼ばれる。 英連邦戦死者墓地(保土ケ谷区狩場町)。第二次世界大戦後に設けられ、1955年に締結された「日本国における英連邦戦死者墓地に関する協定」によって確認がなされている。管理はコモンウェルス戦争墓地委員会が行っている。イギリス王室関係者やイギリス連邦加盟国の要人などが来日すると墓地を訪問することがある。 毎年4月25日のANZACの日には、追悼式典が行われている。
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