横浜市六大事業の下に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 06:33 UTC 版)
「横浜市営バス」の記事における「横浜市六大事業の下に」の解説
1965年(昭和40年)、飛鳥田市政下の横浜市は大型都市開発プロジェクトである「横浜市六大事業」を発表・着手した。これは 都心部強化(後のみなとみらい地区整備) 金沢地先埋立 港北ニュータウンの建設 高速鉄道(地下鉄)建設 高速道路建設 ベイブリッジ建設 の6つからなり、交通局市営バスもこれら事業をサポートする運営展開を進めることとなる。 地下鉄建設計画は市電代替と乗車率超過状態であった京急線救済を果たしたい市の意向から、1972年(昭和47年)12月には伊勢佐木長者町 - 上大岡間を先行開業させた。これに併せて市営バスは朝夕ラッシュ時に限り伊勢佐木長者町 - 県庁間の無料連絡循環バスを開設し、地下鉄が関内・横浜へ延伸される1976年(昭和51年)9月まで運行された。地下鉄建設構想があったもののMM線計画や関連事業者の意向などにより実現を見なかった鶴見 - 綱島方面や本牧方面については、現在に至るまで市営バスが引き続き同地区への輸送を担っている。 横浜市北部の港北ニュータウンは1970年代後半から造成・入居が始まり、市営バスはこれら地域の交通需要に対応するべく1983年(昭和58年)から港北NT地区への路線拡充を行った。営業拠点も当時の鶴見営業所を新横浜駅付近に移転、港北営業所として新設、1991年(平成3年)には港北ニュータウン営業所を新設するなどNT地区運行の輸送力確保に努めた。1993年(平成5年)に横浜市営地下鉄3号線(現ブルーライン)の新横浜 - あざみ野間が延伸開業すると市営バスの当地区運行は縮小調整がなされたが、現在も市営地下鉄の補完交通として港北NT地区に路線網を保持している。 金沢地先埋立事業により誕生し、市域各所に点在していた中小工場の集積とニュータウン開発がなされた金沢区並木・福浦地区のバス輸送も市営バスが担当、1983年(昭和58年)9月25日には当地区の営業拠点として磯子営業所金沢派出所が設けられ61・117・121・122・123系統など路線網が形成された。しかし金沢シーサイドラインの開通により大幅な路線撤廃がなされ、当地区での市営バス運行は短命に終わった。 高速道路(自動車専用道路)を経由する路線バス運行の試みも行われた。1989年(平成元年)開設の横浜ベイブリッジ経由大黒ふ頭方面行109系統がその代表例であり、開設当初はベイブリッジ人気のため増発便が運行されるほどの盛況ぶりであった。その他に国道16号保土ヶ谷バイパスを経由し郊外の大型団地と市中心部を結ぶ150系統、第三京浜道路を経由し港北区(当時)緑産業道路沿いの軽工業地域と横浜駅を結ぶ95系統などが運行されたものの、150系統は道路渋滞で定時性が確保できず利用が定着しなかったことから、また95系統などは均一運賃であるが故の採算性の低さから維持が困難とされ、2010年(平成22年)までに高速有料道路経由での運行は取り止められている。 横浜市の主催により現在のみなとみらい21地区で開催された横浜博覧会の来場客輸送では民営バス各社と分担し、市営バスは横浜駅西口 - 会場のシャトルバスに加え、パークアンドライドの試みとして設けられた新横浜・大黒ふ頭・新本牧駐車場の3箇所と会場間を結ぶ輸送を担当した。また、1989年度に各営業所へ配置された路線バス車両の26台は明るいカラフルな博覧会特別塗装とされ、より一層の賑やかさを添えた。 詳細は「横浜博覧会#シャトルバス」を参照 その後も市営バスは横浜の中核としてショッピングセンターや企業ビル等の整備が進められたみなとみらい地区において、Yループバス(廃止)やみなとみらい100円バス、あかいくつなどの特別系統の運行や企画乗車券の設定などを積極的に行っており、みなとみらい線やシーバスなどと連携しつつ横浜観光輸送の一翼を担っている(詳しくは後述)。
※この「横浜市六大事業の下に」の解説は、「横浜市営バス」の解説の一部です。
「横浜市六大事業の下に」を含む「横浜市営バス」の記事については、「横浜市営バス」の概要を参照ください。
- 横浜市六大事業の下にのページへのリンク