沙河会戦とは? わかりやすく解説

沙河会戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 22:54 UTC 版)

沙河会戦

高橋美邦画
戦争日露戦争
年月日1904年10月9日 - 10月20日
場所:沙河、奉天南方
結果:膠着状態となる
交戦勢力
大日本帝国 ロシア帝国
指導者・指揮官
大山巌大将 アレクセイ・クロパトキン大将
戦力
約120,000人 約220,000人
損害
死傷者20,497名 死傷者41,346名
日露戦争

沙河会戦(さか(しゃか)かいせん)は、ロシア陸軍日本陸軍に対して行った反撃により始まった会戦。この戦い以降冬季に突入し、沙河の対陣と呼ばれる膠着状態に陥った。

会戦の契機はロシアがロシア満洲軍ロシア語版アレクセイ・クロパトキンのみの指揮下であったものを、グリッペンベルクとクロパトキンの二頭体制に移行させる決定をしたことである。この決定に不満のあるクロパトキンは日本陸軍を攻撃して威信を示そうとした。

10月9日にロシア軍の攻撃が始まり、それを日本陸軍が迎撃するという形で戦いが始まった。日本陸軍はロシア軍の攻撃を察知したので、圧倒的な兵力差がありながらもロシア軍に対して効率的な防御を行い、大きな損害を与えた。それから日本軍はロシア軍に対して攻撃を仕掛けたため、ロシア軍は沙河北岸に退却した。日本軍はさらに攻撃を行おうとするもロシア軍の反撃を受けて退いた。

満州軍は弾薬がつき、大本営旅順攻囲戦を遂行するために優先して弾薬をそちらに送ったことと、冬季に突入して軍隊行動が困難となったことから満州軍は塹壕で次なる攻勢機会を待つこととなった。

なお、この会戦に於いて特筆するべき存在としては梅沢道治少将率いる近衛後備混成旅団(俗に言う「花の梅沢旅団」)がいる。近衛後備混成旅団は後備兵(予備役)の兵士たちによって構成された二級部隊ながら、梅沢による卓越した指揮の下、最前線に於いて精鋭部隊に劣らぬ猛烈な奮戦を見せ、勝機の一端をも担う活躍を見せた事で現在にその名を残している。

戦役碑

沙河戦役碑は遼寧省遼陽市のすぐ北の瀋陽市蘇家屯区沙河舗郷魏家楼子村の東煙龍山(別名:万宝山)にある。 [1] 南北両山に分かれていて、南山には日本による「第四軍戦績碑」が、北山にはロシアの十字架の碑がある。

脚注

  1. ^ 沙河戦役碑 (百度百科・中国語)

沙河会戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:43 UTC 版)

奥保鞏」の記事における「沙河会戦」の解説

「沙河会戦」を参照 10月2日日本軍の補給欠乏見越したロシア軍反転攻勢出た迎え撃つ日本軍右翼第1軍を軸とした旋回包囲作戦開始し左翼第2軍10日より果然前進した。特に13日から14日にかけて、沙河左岸一帯において夜襲につぐ夜襲という猛烈な攻撃をかけた。この攻撃により、ロシア軍首脳部大きな誤解をした。日本軍には豊富な予備隊があるに違いない判断したのである。さらに17日まで攻撃続行すると、ロシア軍退却開始した。しかし戦力限界にあった第2軍追撃する余力はなかった。

※この「沙河会戦」の解説は、「奥保鞏」の解説の一部です。
「沙河会戦」を含む「奥保鞏」の記事については、「奥保鞏」の概要を参照ください。

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