満州赴任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 04:48 UTC 版)
日露戦争開戦後、戦局は硬直、沙河会戦の教訓から遼陽に防衛陣地が計画され、1904年(明治37年)10月3日第5臨時築城団長を命じられ、16日遼陽に到着、太子河岸河公堡、西上崗子、尖山子、黒英台南方にかけて防御陣地を構築した。奉天会戦後は対馬海峡防衛陣地を構築、1905年(明治38年)10月3日軍用木材廠長として安東県に赴任、安奉鉄道敷設に携わった。1906年(明治39年)5月11日築城本部部員を免じられ、6月7日一時帰京した。 1907年(明治40年)4月30日陸軍木材廠長兼統監府営林廠長に任命され、再び安東県に渡った。5月1日陸軍少将。1908年(明治41年)4月東三省総督徐世昌と交渉して中日合弁鴨緑江採木公司章程を定めた。1908年(明治41年)7月1日鴨緑江採木公司開設に専念するため 営林廠長を依願退職した。 12月初旬、1901年(明治34年)落馬で骨折した肋骨が神経痛を発し、休職して湯河原温泉に療養した。1909年(明治42年)大韓帝国勲二等太極章。1909年(明治42年)3月30日陸軍木材廠は廃止され、残務整理後帰国した。
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