満州買収計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:37 UTC 版)
この計画は、三井物産上海支店の取引と関連して起こった。1911年(明治44年)中国に辛亥革命が起こり、米国に亡命していた孫文が大統領に就任し、三井に革命軍の軍資金の提供を申し込んだ所に発端があった。のちの第一革命の直接の動機となったのは郵伝部尚書盛宣懐の鉄道国有化案であった。このとき軌条統一に要する資料を、三井が日本興業銀行から借り入れて融資をしていた漢陽製鉄所に求めようとした。三井は大治鉄鉱、漢陽製鉄、炭礦の合同に成る公司の日中共同経営を条件に巨額の借款に応じた。公司から民間政府へ500万円の貸与の条件もあり、この借款契約の調印と同時に「中華民国政府は将来支那に於ける鉱山、鉄道、電気其他の事業を外国人に許可する場合には、他と同条件なれば三井物産株式会社に其許可を与ふる事を承認す」という契約書を取り交わした。まもなく孫文が大統領の地位を退いたため、この借款の融資は一部しか実行されなかったが、中国通を抱えていた三井は、中国革命を援助しながら商権の拡張を図った。1913年(大正2年)夏の第二革命挙兵後、革命軍の資金調達難を見た森恪が、二個師団分の武器と2000万円の現金でもって満州を買収する交渉を行った。革命の後、孫文の亡命によって実現しなかったが、この満州買収計画は森が益田を通して井上馨に通じ、その仲介によって桂太郎の了解を得て行ったものであった。
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