満州派内部の粛清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:14 UTC 版)
1969年以降、満州派内部においても、金昌奉、許鳳学、崔光(1977年に復帰)、石山、金光侠らが粛清された。1972年には憲法が改正され、金日成への権力集中が法的に正当化されたが、それ以降も粛清が継続され、金日成の後妻の金聖愛(1993年に復帰するが翌年以降再び姿を消す)、実弟の金英柱(1975年に失脚、1993年に国家副主席として復帰)、叔父の娘婿(義従兄弟)の楊亨燮(1978年に復帰)など身内にも失脚者が出た。1977年には国家副主席だった金東奎が追放され、後には政治犯収容所へと送られた。 金日成の独裁体制が確固なものとなった1972年以降は、金日成派の執権を脅かす要素が外部からは観察できない。それでもなお、忘れた頃に小規模ながらも粛清が展開されている。これらの粛清が何を目的としたものかは不明である。全体主義体制の整理であるとする立場、満州派から金日成個人への権力集中過程だとみなす立場、金正日後継体制の準備であるとする立場など無数の見方があるが、いずれの立場にとっても決定的な論拠となる情報を入手出来ないのが実情である。
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