金昌奉
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金 昌奉(キム・チャンボン、김창봉、1919年- ?)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人、政治家。金日成が率いる朝鮮労働党の主流派である満州派に属していた。朝鮮人民軍大将。金昌鳳とも表記される。金昌徳は実兄ともいう[1]。
- ^ 大同江(대동강)의 證言(증언) (12) 暴動(폭동)연루자 處置(처치) 1974.05.11 경향신문 4면
- ^ a b c d e “[인민무력부장傳(3)] 청와대 습격 '1·21사태' 배후 김창봉” (朝鮮語). 中央日報. (2016年11月23日) 2019年2月28日閲覧。
- ^ 和田 1992, p. 383.
- ^ “직계만 빼놓곤 숙청” (朝鮮語). 中央日報. (1982年3月27日) 2019年1月4日閲覧。
- ^ 和田 1992, p. 345.
- ^ 和田 1992, p. 341.
- ^ 和田 1992, p. 346.
- ^ 김선호 2020, p. 159.
- ^ 韓国国防部 2004, p. 259.
- ^ 김선호 2020, p. 178.
- ^ 김선호 2020, p. 329.
- ^ “6.25戰爭史 第2巻-北韓의 全面南侵과 初期防禦戰鬪” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 290. 2019年1月20日閲覧。
- ^ 朴明林、森善宣『戦争と平和:朝鮮半島1950』社会評論社、341頁。
- ^ “6ㆍ25때 북한군 작전국장/유성철 “나의 증언”:15” (朝鮮語). 韓国日報. (1990年11月20日) 2019年1月4日閲覧。
- ^ 和田 1992, p. 371.
- ^ 和田 1992, p. 372.
- ^ 「1970年の北朝鮮」『アジア動向年報』1970年版
- ^ 徐 1996, p. 119.
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