後継問題を巡る派内闘争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 16:05 UTC 版)
「満洲派 (朝鮮労働党)」の記事における「後継問題を巡る派内闘争」の解説
呉振宇を中心とした穏健グループと許鳳学・金昌奉・崔光・石山・金光侠らを中心とした強硬グループに分かれ(但し、両グループとも金日成は信奉)、最終的に金日成の支持を得る事に成功した穏健グループが勝利する。金日成の後継者の座を巡り、金正日の競合相手となっていた金平一(金正日の異母弟)の後ろ盾に就いていた(名誉回復を果たし、政権・軍中枢に復帰していた)崔光ら複数の軍高官幹部自宅軟禁、および(八月宗派事件で所属派閥「ソ連派」を裏切り、権力中枢にて延命に成功していた)南日が急死(公式には交通事故死とされている)するなど諸処の動向を経て、やがて1980年代に金日成の息子の金正日を後継者として確定した。これより以前に金日成の後継者筆頭候補であった金英柱(金日成より8歳年下の実弟)は、1971年に隣国である中国で発生した林彪事件(最高権力者「毛沢東」の後継者と公式に認められていた中国共産党有力幹部林彪が、権力禅譲を待ちきれずに暴走、クーデター未遂を起こした後、国外逃亡を図り、逃走航空機にて墜落死した事件)を受け、立場が似ていた為に金日成より北朝鮮版「林彪」候補と猜疑心を買い、後継者候補白紙化・求心力低下を経て、家族の身の安全を図る為、政界引退・地方へ隠居していた。 1994年の金日成の死去、金正日が朝鮮労働党中央委員会総書記に就任後は死去や引退などによる世代交代により、満洲派出身の幹部は殆ど居なくなった。
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