墜落死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/20 15:13 UTC 版)
「ソフィー・ブランシャール」の記事における「墜落死」の解説
1819年7月6日、パリのティヴォリ公園 (Jardin de Tivoli) にて気球ショーを行なうべく上昇を始めた時、積み込んだ花火から気嚢に火が移り、ソフィー・ブランシャールは墜落死した。この日、彼女はいつにも増して神経質な様子だったと言われている。ある報告によると、籠に乗り込む際に « Allons, ce sera pour la dernière fois(行こう、これが最終回だ)» と洩らしていたという。ブランシャール夫人にとってティヴォリ公園での興行はルーティン・ワークであり、パリにいる間は週に2回の飛行を見せていた。彼女は花火を使うことの危険性を繰り返し警告されていたが、それを省みなかった。 10時半ごろ(正確な時間については目撃者によってずれがある)、ブランシャール夫人の気球は離陸した。夫人は白い旗を持ち、白いドレスを着て、ダチョウの羽が付いた白い帽子を被っていた。風は強く、気球の上昇は妨げられているようであった。夫人はバラストを捨てて高度を少し上げようとしたが、気球は木立をかすめてからやっと上昇した。木立を抜けたソフィーは旗を振り始めた。そして「ベンガル花火」(緩燃性の色鮮やかな花火)を初めとする花火で、気球は明るく照らし出された。 花火が点火された数瞬後、まだ上昇中であった気球は炎に包まれた。気嚢に詰まった水素ガスが発火したのである。ブランシャール夫人は迅速に高度を下げたが、気球は風に流されて公園上から離れていった。一部の観客はそれがショーの一環だと誤解し、拍手と声援を送った。気球はさほどの高度には昇っていなかったため、漏れゆくガスが燃焼中ではあったものの、安全に不時着する余地はあった。ソフィーは急いでバラストを捨て、降下速度を緩めた。目撃者の大半の一致した意見では、降下中のソフィーは初め冷静な様子であったが地面が近づくと絶望のあまり両手を合わせたという。なお、「あまりに強く座席を握り締めたがために、彼女の動脈は数本が破裂していた」という噂が後に広まった。 プロヴァンス通り (Rue de Provence) の直上まで達した時、気嚢の水素ガスが爆発し、気球はある建物(一説によると15番地ないし16番地にあった建物で、ホテルであった)の屋根に墜落した。その直前までソフィーは生きていたと思われるが、気嚢と籠をつなぐ索具が燃え尽きたことにより(または爆発の衝撃で吹き飛ばされたことにより)彼女は気球の網に絡め取られて身動きが取れなくなった所、まず屋根に、続いて路面に叩きつけられた。 屋根にぶつかる瞬間、彼女が « À moi!(助けて!)» と叫んだとする資料もある。群集はブランシャール夫人を救うべくその元へと駆け集まったが、彼女は首を骨折して即死していた(または、10分ほどしか保たなかった)。 事故の原因として最も考えられるものは、気球が木にぶつかった時に仕掛け花火の方向がずれて、外側でなく内側を向いてしまったことである。伝えられるところによると、1人の男性がそれに気付いて花火に点火しないよう叫んだが、群衆の歓声に邪魔されて夫人には届かなかったのだという。後世の研究には、ソフィーがガス放出バルブを閉め忘れたために水素が漏れ出し(もしくは気球の作りが悪かったため自然に水素が漏れ出し)、火花による着火を惹き起こしてしまったのだという推測もある。
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