被爆
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被爆(ひばく)とは、爆撃によって被害を受けること、及び原子爆弾や水素爆弾で被害を受けることである[1]。
原爆被爆

被爆を、原子爆弾や水素爆弾による被害に用いるのは、原爆被爆、水爆被爆の略である。被爆した人間を被爆者という。また被爆した建造物は被爆建造物、被爆した物については被爆◯◯(◯◯部分には右写真「鳥居」のように呼称が入る)、と言われる。
被爆者健康手帳
1994年(平成6年)に定め、試行された厚生労働省の被爆者手帳の交付要件及び原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(通称「被爆者援護法」)に基づき交付される手帳。以前は、原爆症として実際に症状がある者のみが認定されていたが[2]、現在は、原爆での被爆は大きく分けて直接被爆、間接被爆、被爆者の救護、死体処理を行い放射能の影響を受けること、前3項の該当者の胎児の4種類が定められ、直接被爆によって死亡した者から14日後に爆心地より2km以内に1歩でも踏み入れた者及びその胎児まで幅広く被爆者と認められるようになった。原爆により発生した健康健康被害については原爆症として別途定めている。
直接被爆は、原子爆弾が爆発した当時に爆心地付近にいて、原子爆弾による被害を受けた場合に使われる。建物の影などにいて直接光線や熱線を浴びていなくても、放射線は建造物を通過するので、この場合も直接被爆という。一次被爆ともいう。
間接被爆は、原子爆弾の爆発後、救護などのために爆心地付近に出入りしたために、放射能を帯びた付近の土壌や、放射性降下物(黒い雨や死の灰など)によって間接的に原子爆弾の被害を受けることをいう。間接被爆は直接、爆弾による攻撃を受けたわけではないが、この場合も被爆という。二次被爆ともいう。
入市被爆は、原子爆弾が投下されてから2週間以内に、救援活動、医療活動、親族探し等のために、広島市内または長崎市内の爆心地から約2kmの区域内に立ち入った者に認定される[3]。
原爆症として積極的に認定する範囲
被爆と戦争被害
冒頭に記述した通り、核攻撃による被害という側面が強調されるが、航空機からやミサイルなど空を飛ぶ兵器の利用が始まって以来、世界各地で被爆による被害者は生まれている。
被爆と被曝
核実験や原子力事故で放射能・放射線に晒されることを被曝という。 日本では原爆による放射線障害や単語が類似する点から混同されがちだが、意味が違うので注意されたい。
被爆をテーマにした作品
広島原爆をテーマとした作品
長崎原爆をテーマとした作品
その他の作品
脚注
関連項目
直接被爆
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「広島原爆で被爆したアメリカ人」の記事における「直接被爆」の解説
以下、日本の民間団体・歴史研究家の調査で直接被爆にあったと断定されている人物と、同乗していた人物を挙げる。太字が被爆、斜字が捕虜になる前に死亡した人物。 B-24リベレーター 第7爆撃団第494爆撃群所属 機体番号 44-04680 愛称 LONESOME LADY(ロンサム・レディー) 乗務員9人 読谷飛行場より出撃、榛名の攻撃により被弾、山口県玖珂郡(現柳井市伊陸)に墜落。 氏名階級年齢出身墜落状況被爆状況トーマス・カートライト(Thomas C. CARTWRIGHT) 少尉機長操縦士 ルーパーと共に伊陸村で捕まり、光憲兵分隊柳井分隊→中国憲兵隊司令部。更に7月30日東京防衛総司令部に移送。 広島にいなかったため生存、帰国。 ダーデン・ルーパー(Darden W. LOOPER) 少尉副操縦士 22 アーカンソー カートライトと共に伊陸村で捕まり、光憲兵分隊柳井分隊→中国憲兵隊司令部。 被爆当日に死去。 ロイ・ベーデンセン(Roy M. PEDERSON Jr.) 少尉航法士 墜落死。 - ジェームズ・ライアン(James M. RYAN) 少尉爆撃手 20 ニューヨーク 南河内村で捕まり、岩国憲兵分隊→中国憲兵隊司令部。 被爆当日に死去。 ヒュー・アトキンソン(Hugh H. ATKINSON) 軍曹通信士 26 ワシントン 南河内村で捕まり、岩国警察署→岩国憲兵分隊→中国憲兵隊司令部。 被爆により重症、翌7日相生橋で拘束されたが死去。 ジョン・ロング(John A. LONG Jr.) 伍長射撃手 27 ペンシルバニア ニール・エリソンと共に高森町で捕まり、山口憲兵分隊→岩国憲兵分隊→中国憲兵隊司令部。 被爆当日に広島城二之丸で死去。 パッフォード・エリソン(Buford J. ELLISON) 軍曹エンジニア テキサス ニール・ロングと共に高森町で捕まり、山口憲兵分隊→岩国憲兵分隊→中国憲兵隊司令部。 被爆当日に死去。 ラルフ・ニール(Ralph J. NEAL) 二等軍曹射撃手 23 ケンタッキー エリソン・ロングと共に高森町で捕まり、山口憲兵分隊→岩国憲兵分隊→中国憲兵隊司令部。 重症を負いヘルダイバーのブリセットとともに宇品憲兵分隊に移されたが19日に死亡。 ウィリアム・アベル(William E. ABEL) 二等軍曹 しばらく山中に潜伏していたが空腹のため山陽本線に乗ったところで徳山駅付近で捕まり、呉海軍刑務所→大船収容所 広島にいなかったため生存、帰国。 B-24リベレーター第7爆撃団第494爆撃群所属 機体番号 44-40716 愛称 TALOA(タロア) 乗務員11人 読谷飛行場より出撃、榛名の攻撃により被弾、広島県佐伯郡(現佐伯区五日市町八幡)に墜落 氏名階級年齢出身墜落状況被爆状況ジョセフ・ダビンスキー(Joseph DUBINSKY) 少尉(中尉説あり)機長操縦士 27 ペンシルベニア 八幡村で捕まり、中国憲兵隊司令部 被爆当日に死去。 ルドルフ・フラナガン(Rudolph C. FLANAGIN) 中尉副操縦士 墜落死。 - ドナルド・マーヴィン(Donald F. MARVIN) 中尉オブザーバー 墜落死。 - ローレンス・フォールズ(Lawrence A. FALLS Jr.) 中尉航法士 墜落死。 - ロバート・ジョンストン(Robert C. JOHNSTON) 中尉爆撃手 墜落死。 - デビット・パシフィックフィールド(David A. PACIFICFIELD) 一等軍曹通信士 墜落死。 - ウォルター・ピスコー(Walter PISKOR) 一等軍曹エンジニア 墜落死。 - チャールズ・アリソン(Charles R. ALLISON) 二等軍曹射撃手 墜落死。 - カミラス・カークパトリック(Camillus KIRKPATRICK) 二等軍曹射撃手 墜落死。 - ジュリアス・モルナー(Julius MALNER) 二等軍曹射撃手 20 ミシガン 八幡村で捕まり、中国憲兵隊司令部 被爆当日あるいは翌日に死去。 チャールズ・バウムガルトナー(Charles O. BAUMGARTNER) 二等軍曹射撃手 30 オハイオ 八幡村で捕まり、中国憲兵隊司令部 被爆当日に死去。 SB2Cヘルダイバー 空母タイコンデロガ艦載機 機体番号 21079 乗務員2人 氏名階級年齢出身墜落状況被爆状況レイモンド・ポーター(Raymond PORTER) 中尉操縦士 24 ペンシルベニア 対空砲火により墜落、山口県大島郡で漂流中に捕まり、宇品憲兵分隊→中国憲兵隊司令部 被爆当日に死去。 ノーマン・ブリセット(Norman R. BRISSETTE) 三等軍曹射撃手 19 マサチューセッツ 重傷を負いロンサム・レディーのニールと共に宇品憲兵分隊に移されたが19日に死亡。 F6Fヘルキャット 空母ランドルフ艦載機 機体番号 72-623 乗務員1人 氏名階級年齢出身墜落状況被爆状況ジョン・ハンシェル(John J. HANTSCHEL) 少尉 ウィスコンシン 不時着により山口県吉敷郡東岐波村(現宇部市)で漂流中に捕まり、山口憲兵隊→中国憲兵隊司令部 被爆当日に死去。
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