後継店舗不在による空き店舗化と解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 13:45 UTC 版)
「イトーヨーカドー帯広店」の記事における「後継店舗不在による空き店舗化と解体」の解説
当店の閉店に伴う中心市街地の集客力低下については、閉店前から地元の政財界の間で強く懸念され、帯広商工会議所などが関係者と接触して交渉を進めた。閉店直後はビル所有者のたかをビル開発側が一括賃貸してもらえる他の大手流通業者に出店依頼を行うなどしたものの、建築後20年以上が経過していて出店に際しては改装に10億円以上が必要で、かつ、駐車場不足の解消の見込みがないことから、損益分岐点となる売上高約60億円の達成は困難だとして出店をしなかった。その中で、全道展開を目指す中で帯広への出店を検討していることからラルズの出店が候補の一つに浮上し、1999年(平成11年)7月に同社が出店構想を示して家具量販店のニトリと共同出店する方向で具体的な調整に入っていたが、共用部分の費用負担などを巡って決裂した。そのため、2000年(平成12年)1月にはラルズによる全館一括賃貸ではなく3層のみを賃貸して出店することを帯広商工会議所から提案したが、同年7月28日の協議でラルズ側が現状での出店は困難との判断を示して出店構想は事実上白紙に戻った。こうして後継店舗が見つからず空き店舗の状態が続いており、当店が閉店当時に支払っていたとされる年間約7億円の賃料が入らず、2002年(平成14年)2月27日に建物の所有者の高雄ビルが東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請して事実上経営破たんした。この経営破たんに伴い、一括して借り上げて活用するための条件の詰めを行っていたまちづくり会社の「街づくりおびひろ」との交渉も中断を余儀なくされることになった。再建会社となった後も高雄ビルが帯広商工会議所と協議しながら後継店舗集めを進め、2004年(平成16年)には第1抵当権者の北陸銀行との間でビルの売却に関して東京地方裁判所で和解するなど店舗跡の利活用に向けた努力が積み重ねられた。その後もなかなか後継店舗が見つからず空き店舗の状態が続いていたが、2006年(平成18年)6月1日に地下1階は地元スーパーの福原が出店表明したところ、1階のドラッグストアや5・6階の1フロア一括でのフィットネスクラブやペットショップ等の想定以上の入居希望が寄せられ、全館の営業再開も視野に入れる状況になったとされた。こうした入居希望者が増えた状況になった後の2006年(平成18年)10月4日に札幌の不動産会社「ゼウスデベロップメント」が全館取得したことが発表された。土地・建物を取得した「ゼウスデベロップメント」は、2007年(平成19年)3月13日には十勝の酪農製品の1つチーズに因んで「チーズ帯広」(CHEESE OBIHIRO)の名称で同年9月から10月ごろに開業する構想が発表して外装工事を行った。ところが、その後開業時期の延期が続き、2008年(平成20年)7月には税金滞納を理由に帯広市が土地と建物を差し押さえ、債権者の申請で釧路地裁帯広支部は同年9月に競売開始を決定するなど混乱が続き、この構想も実現しなかった。なお、当店跡地は「帯広市中心市街地活性化基本計画」の中で商業施設として再開業を目指す位置付けにされているが、閉店後15年となる2013年(平成25年)11月9日時点でも空きビルのまま塩漬け状態で推移していた。この間の2003年(平成15年)8月29日から31日には、当店跡の1階を全面使用してNCおびひろ主催の「底抜け市場」が開催され、一時的に一般市民も中に入ることが可能になった。2014年8月、東京の不動産賃貸業者エーエスが落札、その後2016年に札幌の不動産業者アルファコートへと売却された。分譲マンションや商業施設、事務所棟の再開発のため、2018年3月より解体工事が始まった。
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