金昌寺とは? わかりやすく解説

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金昌寺

読み方:キンショウジ(kinshouji)

別名 新木寺(あらきでら)秩父第四霊場

宗派 曹洞宗

所在 埼玉県秩父市

本尊 十一面観世音菩薩

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

金昌寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/19 18:09 UTC 版)

金昌寺
山門
所在地 埼玉県秩父市山田1803番地
位置 北緯36度0分23.6秒 東経139度6分48.6秒 / 北緯36.006556度 東経139.113500度 / 36.006556; 139.113500 (金昌寺)座標: 北緯36度0分23.6秒 東経139度6分48.6秒 / 北緯36.006556度 東経139.113500度 / 36.006556; 139.113500 (金昌寺)
山号 高谷山
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
札所等 秩父札所 第4番
文化財 石仏群(埼玉県指定有形民俗文化財)
金昌寺
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金昌寺(きんしょうじ)は埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺院で、山号は高谷山と号する[1]秩父札所の第四番であり、また、秩父市の史跡に指定されている[2]

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

ご詠歌:あらたかに参りて拝む観世音 二世安楽と誰も祈らん

歴史

『観音霊験記』によると、当地に数々の悪行を重ね忌み嫌われていた荒木丹下と言う男がいた。そこに巡礼の娘が来て食べ物を乞うたが、丹下は娘を打ちのめした。ところが、実は娘は仏の化身でその力により丹下は改心させられ、仏道に帰依し観音堂を建立したと言う。このため、この寺は荒木寺あるいは新木寺とも呼ばれ、古く高篠の山中にあったが、その後、荒木(山田)に移されたと言われている。[3][4]

境内

秩父札所四番石仏群 - 埼玉県指定有形民俗文化財
宝永年間(1704~1711年)以降に当寺に奉納された石仏群で、羅漢245体、如来58体、菩薩393体など1300余体に上る。天明(1781~1789年)、寛政(1789~1801年)、享和(1801~1804年)頃の造立が多い。奉納者は武蔵をはじめ江戸、上州、相州から北陸、山陰、山陽に渡り、全国的な信仰圏を示す金石文としても貴重である。[1][5][6][7]
子育て観音像
寄進者の吉野屋半左衛門が浮世絵師に下絵をかかせて建立・供養した仏像である。半左衛門は当寺のご本尊の霊験で子を授かったものの、その後子と妻をあいついで失ったため、生前の母子の姿を描かせた。本堂外陣に安置されている。[1][5][6]

このほか、荒舩清十郎の墓などがある。

交通

前後の札所

秩父札所(江戸巡礼古道)[8]
3 常泉寺 -- (1.4km)-- 4 金昌寺 -- (1.3km)-- 5 語歌堂

脚注

関連項目

外部リンク



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