定林寺_(秩父市)とは? わかりやすく解説

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定林寺 (秩父市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 13:31 UTC 版)

定林寺
所在地 埼玉県秩父市桜木町21-3
位置 北緯36度0分20.7秒 東経139度5分3.3秒 / 北緯36.005750度 東経139.084250度 / 36.005750; 139.084250座標: 北緯36度0分20.7秒 東経139度5分3.3秒 / 北緯36.005750度 東経139.084250度 / 36.005750; 139.084250
山号 実正山
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 不詳
開基 壬生良門
札所等 秩父札所 第17番
文化財 銅鐘(埼玉県指定有形文化財)、札所17番実正山定林寺(秩父市指定史跡)
定林寺
定林寺 (埼玉県)
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定林寺(じょうりんじ)は、埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺院で、山号は実正山と号する。

本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

ご詠歌:あらましを思い定めし林寺 かねききあへずゆめぞさめける

歴史

創建年代は不明であるが、壬生良門の開基である。良門は家臣を抱えるひとかどの武将であったが、性格が粗暴で、家臣や領民も困っていた。ある日、家臣の林太郎定元が主君を諌止したところ、逆に追放処分を受けてしまった。林一家は流浪の旅を続け、当地において夫妻ともに病没してしまった。林夫妻には一人の遺児がおり、この子は「空照」という僧侶に引き取られた。その後、良門も当地に至り休憩を取っていた。そこで、元家臣の定元の最期を聞き、己の罪深さを悔いて、亡き定元のために寺を創建することになった。「定林寺」という寺号は「太郎元」に由来する[1]

今昔物語集』にも、「壬生良門」という人物が登場するが、それとの関係は不明である[1]

現在は、秩父札所17番となっているが、「長享の秩父札所番付(長享番付)」では1番になっている。江戸時代に入ると、江戸からの巡礼者が秩父往還経由で来るようになったことから、番付が変更になったという[1][2]

文化財

  • 銅鐘(埼玉県指定有形文化財 昭和39年3月27日指定)[3]
  • 札所17番実正山定林寺(秩父市指定史跡 昭和40年1月25日指定)[4]

交通アクセス

前後の札所

秩父札所(江戸巡礼古道)[5]
16 西光寺 --(1.3km)-- 17 定林寺 -- (1.1km)-- 18 神門寺

脚注

参考文献

  • 秋山喜久夫(文)、敏蔭英三(写真)『写真紀行 埼玉の寺 II』埼玉新聞社、1981年。 

関連項目

外部リンク





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