観音寺_(秩父市寺尾)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 観音寺_(秩父市寺尾)の意味・解説 

観音寺 (秩父市寺尾)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 20:58 UTC 版)

観音寺
所在地 埼玉県秩父市寺尾2354
位置 北緯36度00分57.5秒 東経139度04分40.6秒 / 北緯36.015972度 東経139.077944度 / 36.015972; 139.077944座標: 北緯36度00分57.5秒 東経139度04分40.6秒 / 北緯36.015972度 東経139.077944度 / 36.015972; 139.077944
山号 要光山
宗派 真言宗豊山派
本尊 聖観世音菩薩
創建年 不詳
別称 矢之堂
札所等 秩父札所 第21番
文化財 札所21番 要光山観音寺(秩父市指定史跡)
テンプレートを表示

観音寺(かんのんじ)は、埼玉県秩父市にある真言宗豊山派寺院で、山号は要光山と号する。

本尊真言:おん あろりきゃ そわか

御詠歌:梓弓いる矢の堂に詣で来て 願ひし法にあたる嬉しさ

歴史

創建年代は不明である。当寺の観音堂の通称は「矢之堂」であり、その由来として、当初は武蔵国秩父郡納村(現・埼玉県児玉郡神川町)にあったからとも、日本武尊を納めたとも、平将門を納めたとも、行基の邪魔をするために邪神を放ったのを八幡神鏑矢を放って火を追い払ったからともいわれている[1][2]

これらの逸話から、本尊聖観世音菩薩は「火伏観音」と呼ばれるようになった。1923年大正12年)の火災では、奇跡的に本尊を救出することができた。その後、秩父郡倉尾村(現・小鹿野町)の廃寺の廃材を活用して再建した[1][2]

文化財

  • 札所21番 要光山観音寺(秩父市指定史跡 昭和40年1月25日指定)[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 安宅夏夫 文、西田信夫 写真『秩父三十四カ所めぐり(楽学ブックス 古寺巡礼4)』JTBパブリッシング、2008年、66-67p
  2. ^ a b 小林祐一 著『秩父三十四カ所 札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド』メイツ出版、2017年、76-77p
  3. ^ 札所21番 要光山観音寺秩父市

参考文献

  • 安宅夏夫 文、西田信夫 写真『秩父三十四カ所めぐり(楽学ブックス 古寺巡礼4)』JTBパブリッシング、2008年
  • 小林祐一 著『秩父三十四カ所 札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド』メイツ出版、2017年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  観音寺_(秩父市寺尾)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「観音寺_(秩父市寺尾)」の関連用語

観音寺_(秩父市寺尾)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



観音寺_(秩父市寺尾)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの観音寺 (秩父市寺尾) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS