野坂寺
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野坂寺 | |
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本堂
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所在地 | 埼玉県秩父市野坂町2-12-25 |
位置 | 北緯35度59分1秒 東経139度5分7.8秒 / 北緯35.98361度 東経139.085500度座標: 北緯35度59分1秒 東経139度5分7.8秒 / 北緯35.98361度 東経139.085500度 |
山号 | 佛道山 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 不詳 |
中興年 | 慶安4年(1651年)【第1次】、寛保元年(1741年)【第2次】 |
中興 | 啓室【第1次】、仏海【第2次】 |
札所等 | 秩父札所 第12番 |
文化財 | 札所12番 仏道山野坂寺(秩父市指定史跡) |

野坂寺(のさかじ、のさかでら)は、埼玉県秩父市にある臨済宗南禅寺派の寺院で、山号は佛道山と号する。
本尊真言:おん あろりきゃ そわか
御詠歌:老いの身に苦しきものは野坂寺 今思い知れ後の世の道
歴史
創建年代は不明である。昔、甲斐国(現・山梨県)の商人が当地を通りかかったところ、山賊一味が現れて追い剥ぎをしようとしたため、商人は所持していた観音菩薩像に祈願したところ、その観音像から不思議な光を発したため、山賊一味は首領を除いて逃げ出してしまった。残った首領は改心して、仏門に入ることを誓ったという。数年後、この商人が立ち寄ったところ、元山賊の首領は僧侶姿になって真面目に修行に励んでいたという。この姿に感動して、当地に観音像を安置する堂宇(野坂観音堂)を創建したのが当寺の起源である[1]。
その後、寺運衰微したが、1651年(慶安4年)に啓室によって中興された。1741年(寛保元年)、仏海は野坂観音堂を管理する「野坂寺」と統合し、現在地に移転した。旧観音堂は現在の当寺の裏山に位置し、統合後に「奥の院」となった(現存せず)[1][2][3]。
1906年(明治39年)に火災に遭い、山門を除いて全焼した。1909年(明治42年)に再建された[1][2][3]。
文化財
- 札所12番 仏道山野坂寺(秩父市指定史跡 昭和40年1月25日指定)[4]
交通アクセス
前後の札所
脚注
参考文献
- 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年
- 安宅夏夫 文、西田信夫 写真『秩父三十四カ所めぐり(楽学ブックス 古寺巡礼4)』JTBパブリッシング、2008年
- 小林祐一 著『秩父三十四カ所 札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド』メイツ出版、2017年
外部リンク
- 12番 野坂寺 - 秩父札所 - 秩父札所連合会
- 野坂寺のページへのリンク