満州興業銀行総裁就任とは? わかりやすく解説

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満州興業銀行総裁就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 00:13 UTC 版)

岡田信」の記事における「満州興業銀行総裁就任」の解説

1941年昭和16年康徳8年2月第二代満興業銀行通称満州興銀総裁就任した1937年昭和12年康徳4年4月から実施され満州国第一次五カ年計画結果を受け、第二次五カ年計画実行のために必要な安定した資金供給実現目的として業務遂行した東京支店機能拡充し内地からの資金獲得含めた調達基盤多様化模索する一方第一次計画期間において行われた野放図貸出抑制したソ連対日宣戦布告1945年昭和20年康徳12年8月8日ソ連日本対し宣戦布告。翌9日にはソ連軍による満州進駐開始した8月13日岡田満州重工業社長高碕達之助などと私的に集まりソ連軍満州進駐に伴う日本人住民生命を守るため「治安維持会」を発足をさせた。これを契機として8月19日に「新京日本人会」が作られ以降日本人会」が満州全域作られていった8月28日には、13日集まった岡田高碕達之助等に加え満州国総務長官武部六蔵満鉄総裁山崎元幹満洲拓殖総裁斎藤弥平太なども加わり協議行い、全満州在留邦人救済する機関として「日本人会総会」(各地ある日本人会の代表団体)を結成した同時にソ連軍による拘束可能性が低い民間人である高碕達之助代表者とすることを決めた以後、高碕を中心にソ連軍当局交渉行い、「日本人会総会」の承認満州国財産重要施設円滑な譲渡引き換えに「在留邦人保護」を交渉併せて避難民救済必要な資金確保努めた1946年昭和21年4月14日中国共産党指導下の八路軍東北民主聯軍)が長春新京)に入城したそれまで長春ソ連軍統治にあったが、八路軍がこれに替り同年5月23日国民党軍入城まで続いた八路軍占領下長春では「日本人保護費用として1億円の資金拠出医師看護婦徴用403名(内120名以上が戦後残留となった)、労務の提供」を求められ撤退に際して645名の日本人連れ去られ、その中に斎藤弥平太満州拓殖総裁満洲鉱業開発理事長竹内徳亥と共に岡田の名があった。一説では岡田等は5月14日連行されと言う竹内岡田チャムス桂木斯)に連行され8月15日に他の満州要人と共に中央広場民衆裁判かけられる際、満系要人奪回企む一団現れ大混乱となったため裁判待たず銃殺されたという。岡田死去正確な日時明確でないため、遺族終戦記念日である8月15日命日としている。

※この「満州興業銀行総裁就任」の解説は、「岡田信」の解説の一部です。
「満州興業銀行総裁就任」を含む「岡田信」の記事については、「岡田信」の概要を参照ください。

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