1969年以降
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1969年1月19日の日本経済新春盃(京都)では、4歳時になかなか勝てなかったタニノハローモアを首差抑えて勝利。続く2月9日の中京記念(中京)ではハローモアの3着に敗れたが、2月23日の中京大賞典(中京)ではハローモアを4着に沈め勝った。4月6日のサンケイ大阪盃(阪神)では2着のアサカオーに2馬身の差をつけ、重賞連勝。4月29日の春の天皇賞(京都)では4着に終わったが、マーチス(5着)には1馬身半差先着した。 その後、6月1日の宝塚記念(京都)に出走。ファン投票で上位に選ばれたアサカオー、タケシバオーが出走せずわずか4頭立てというメンバー構成となり、マーチスに次ぐ2番人気に推された。レースは逃げるダイイチオーを残る3頭で追う形となり、脱落したメジロシンゲンをのぞく3頭の争いとなって直線勝負にもつれこんだが、最後は2着マーチスに1馬身の差をつけ、2分16秒1のレコードタイムで勝った。 その後6月29日の鳴尾記念(京都)に出走、不良馬場のなか61キログラムの負担重量を背負うが4着と敗れる。しかし秋初戦となる9月28日の朝日チャレンジカップ(阪神)では、61キログラムのトップハンデを背負いながらも2分1秒9のレコードをマークし勝利。これを契機に東上の予定だったが、骨折のため休養を余儀なくされる。 1970年4月12日、マイラーズカップ(阪神)で復帰。トウメイに半馬身差の2着に入り、4月29日の春の天皇賞(阪神)の有力候補となったが左肩跛行のため出走取消となり、またこれが現役最後の記録となった。 引退後は種牡馬となり、コーナンルビー(帝王賞、羽田盃、浦和桜花賞)などを送り出した。
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1969年以降
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1969年、イギリス郵政省は政府の省から公社へと改組され、郵政大臣のポストは廃止された。 2000年、郵便局はコンシグニアと改称されたが、この新しい名前は一般大衆のみならず郵便職員にも不評であり、逓信労働組合(Communication Workers' Union)はこの新呼称をボイコットした。2002年、公社は呼称をロイヤルメール・グループplc(Royal Mail Group plc)へと再変更し、3つの事業へと再編した。 ロイヤルメール - 郵便物を配達する パーセルフォース - 小包を配達する ポスト・オフィス・リミテッド - 全国的な郵便局のネットワークを管理・運営するリテール向け窓口会社 ロイヤルメールが赤を基調としたトレードマークを保有していないとの都市伝説があるが、現実には「Royal Mail、ロイヤルメール十字(Royal Mail Cruciform)、ロゴに使われる赤い色、スマートスタンプ(SmartStamp)は全てロイヤルメール・グループのトレードマークとして登録されている。 2001年、イギリス政府は郵便サービス委員会(Postal Services Commission、通称ポストコム)を設立し、民間企業に郵便業務の許可を与えるとした。2001年、イギリスの郵便サービスに対する消費者の意見を集めるために郵便サービス消費者委員会(Consumer Council for Postal Services、通称ポストウォッチ)が設立された。 2006年1月1日から、ロイヤルメールは350年間にわたる郵便事業の独占権を失い、郵便事業は完全自由化された。
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