沙河とは? わかりやすく解説

しゃ‐か【沙河】

読み方:しゃか

中国遼寧省南部流れる、遼河支流日露戦争沙河会戦の地。


沙河

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/17 14:38 UTC 版)

沙河(さが)



沙河

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 18:56 UTC 版)

北京天文台」の記事における「沙河」の解説

沙河観測所は、北京天文台最初観測拠点である。元々は、それまで報時所を担っていた徐家匯天文台施設時代遅れとなったため、新し報時所の建設模索していたのが始まりである。正確な時刻測定測地観測国策上緊急性の高い課題であり、北京天文台設立決まったとき、報時建設にまず焦点当てられた。昌平区沙河鎮(中国語版)の七里選ばれ報時所が設置され1958年から施設整備1960年には時計観測装置設置され高精度時報提供を始めた天文学観測としては、海南島におけるソ連共同での1958年4月19日の日食観測成功した後、そのとき使用したソ連センチ波望遠鏡借用し、沙河に設置して太陽電波観測始まった。その望遠鏡数年後ソ連返還されたが、1964年国産3.2 cm電波望遠鏡完成し翌年から定常観測が行われた。この望遠鏡は、太陽活動予報にも活用された。1970年には、10 cm電波望遠鏡観測機構も確立した一方中国科学院地球物理学研究所白家観測所始まっていた太陽の光観測は、1963年彩層望遠鏡移設し、沙河観測所引き継がれた。その後、沙河観測所には口径60 cm太陽望遠鏡導入され黒点磁場測定などを行ったまた、東ドイツから購入した40 cm双眼アストロカメラ、60 cm90 cmシュミットカメラは、興隆観測所開所するまでの間、沙河観測所設置され北京天文台太陽以外の光学観測始まった1980年代には、時間分解能が1ミリ秒という太陽高速電波観測機構構築し国内各地広がった同時観測網中核を、沙河観測所担った1990年代には、ミリ波高速観測できる広帯域電波分光計開発され異な周波数帯観測する5台の電波分光計のうち、3台が沙河観測所運用された。 20世紀末、沙河観測所電波障害酷くなっており、太陽電波望遠鏡比較電波障害のましな懐柔太陽観測所移設することになり、研究観測拠点としての沙河観測所その役割終えることになった国家天文台改編された後、2005年に沙河観測所は、7 mドーム60席のプラネタリウムと、教育普及用の小型望遠鏡備えた天文学教育拠点として生まれ変わった

※この「沙河」の解説は、「北京天文台」の解説の一部です。
「沙河」を含む「北京天文台」の記事については、「北京天文台」の概要を参照ください。

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