20世紀末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/02 09:46 UTC 版)
「コネチカット州の歴史」の記事における「20世紀末」の解説
コネチカット州の防衛産業は冷戦の終結と共に経済的危機に立った。その結果州財政が危機に陥り、1990年の選挙では、第3党のローウェル・ワイカーが知事に当選した。ワイカーの対症療法である所得税は予算を平衡させることには効果的であったが、政治的には不人気で、ワイカーは1期で退任した。 コネチカットの多くの都市でアフリカ系アメリカ人やラテン系の人口が著しく増えたのはこの時期であり、それまでの白人と比べて生活水準は下がった。多くの者が生活に窮し、多くの分野で過激な行動に走ったので、スラム街の近代化や学校制度の中での人種差別廃止が進められた。1987年、ハートフォードはアメリカの都市では初めて女性アフリカ系アメリカ人のキャリー・サクソン・ペリーを市長に選んだ。 ピクォート族の子孫がその居留地に数百万ドルのカジノ複合施設を建設する計画を始めた。フォックスウッズ・カジノは1992年に完成し、そこから上がる巨大な収益でマシャンタケット・ピクォートは国でも最も裕福な居留地になった。新しく得た金で、マシャンタケット・ピクォート博物館および研究センターのような大きな教育と文化の計画が遂行された。モヒガン居留地でもその後直ぐに政界の認識を得て、1994年にアンカスビル町の近くに別のカジノ、モヒガン・サンを始めた。カジノ・ギャンブルの成功によって、州の経済の中心は製造業から娯楽の方に移り、他にはケーブルテレビのESPN、金融面でヘッジファンドなどのサービス、およびファイザーのような薬品会社が伸びてきた。
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