冷戦の終結とは? わかりやすく解説

冷戦の終結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:49 UTC 版)

アメリカ合衆国の歴史 (1980-1991)」の記事における「冷戦の終結」の解説

レーガン政権ソビエト連邦に対して強硬路線採用していた。その1期目にはライバルを「悪の帝国」と呼んで攻撃したソ連によるアフガニスタン侵攻続いてデタント政策を公式に終わらせたのはジミー・カーターだったが、1980年代初期東西緊張関係はキューバミサイル危機依頼高み達した戦略防衛構想レーガン時代米ソ関係悪化の中で生まれた当時大衆はこれを「スター・ウォーズ」と呼んだが、飛び来るソビエトミサイル打ち落とすことの出来ミサイル防衛システム巨額研究費掛けられ相互確証破壊可能性排除することが目指された。 ソ連レーガン1981年就任する前に1976年にはその社会主義同盟ベトナム統一成し遂げ東南アジアラテンアメリカおよびアフリカ社会主義革命連鎖が起こるなど、国際的な場面で大きな成果挙げていたが、1960年代と1970年代第三世界諸国との結び付き強めたことはアメリカ対す絶対的な弱さ隠していたに過ぎなかった。ソ連経済構造的に厳し問題苦しんでいた。1964年から1982年掛けて改革滞り消費財供給不足はさらに周知の事実になっていた。 東西緊張関係はミハイル・ゴルバチョフ登場後急速に緩和された。1982年以降ソ連の古い指導者3人が続けて死にレオニード・ブレジネフユーリ・アンドロポフコンスタンティン・チェルネンコ)、ソビエト政治局1985年ゴルバチョフソビエト共産党指導者に選び新し世代指導者時代画することになったゴルバチョフの下で比較若い世代改革指向する官僚急速に権力を掌握し、政治と経済自由化新し機運与え西側との友好的な関係を築き貿易を行うべく推進力となったゴルバチョフは「ペレストロイカ政策進め消費財生産高めるために戦ったが、一方で冷戦時代軍拡競争、また片方では社会主義同盟国が期待を増すようになっていた莫大な対外支援軍事援助という双子重荷の中では不可能だったアメリカ軍拡莫大な重荷になるとレーガン政権警告していたことを、ゴルバチョフの下のソビエト政治指導者達は次第認めようになったソ連は既に防衛のために巨大な予算費やしており、戦略防衛構想対抗するものを開発することは、その経済では到底なしえない事態になっていた。ソビエト連邦選んだ道はアメリカ合衆国妥協し経済立て直しペレストロイカ)、国内民主化進める(グラスノスチ)ことであり、それが結果的にゴルバチョフにとっては中央のコントロール確保することを不可能にした。この後レーガン政権タカ派は、増大するアメリカ防衛予算から逃れようとすることが改革もう一つ推進力になった論じてきた。 冷戦時代世界対立する2つ陣営分かれていたことは、北大西洋条約機構加盟する西ヨーロッパ諸国だけでなく、開発途上多くの国を広く拡散した同盟にまとめることに貢献していた。しかし1980年代後半からは東ヨーロッパワルシャワ条約機構諸国政権急速に崩壊始めた1989年の「ベルリンの壁崩壊」は東欧共産主義政権凋落象徴する出来事となった1980年代後半1987年中距離核戦力全廃条約ソ連軍アフガニスタンさらにはキューバアンゴラからの撤退によって、米ソ関係著しく改善された これらワルシャワ条約機構諸国と同じ時代アメリカ支援民主化進めていたチリ大韓民国のような弾圧的政権支持与え合理性は、このような展開下では無くなっていた。アメリカの政治解説者中には冷戦時2つ超大国間の関係良化が、アメリカの軍事費を削る「平和の配当」に導くことになると考える者もいた。しかしこの考え方湾岸戦争勃発とともに政治的議論の場失ったレーガン後任ジョージ・H・W・ブッシュは「新しい世界秩序...テロ恐怖からの解放、より強力な正義追求さらなる平和の追求、東と西、北の南の世界の国々調和保って繁栄し生きて行ける時代」の出現訴えたバルト三国における独立求めた愛国主義者扇動によって先ずリトアニア続いてエストニアラトビアソビエト連邦からの独立宣言した1991年ソビエト連邦解体され15構成要素分かれた冷戦終わりユーゴスラビアソマリア政権崩壊した後に生じた空白によって、権威主義者の長年支配下埋もれていた敵意表面に出るか、再開された。アメリカ大衆さらには政府の中であってもアメリカ関心にはほとんどあるいは全く繋がらない地域紛争介入することを躊躇する向きはあったが、これらの紛争共産主義が強い脅威ではなくなった時代西側同盟関係更新する基盤となったビル・クリントン大統領はその就任演説で、「今日、古い秩序去り新しい世界は前より自由だ安定はしていない共産主義崩壊は古い敵意呼び出し新し危険性生じさせた。アメリカ明らかにこれまでなしてきたように世界導き続けなければならない。」と語った冷戦終結以降アメリカ冷戦時制度構造、特にNATO再活性化し、さらには国際通貨基金世界銀行のような多国間制度再編することを求めそのことによって地球規模の経済改革促進しようとした。NATO当初ハンガリーポーランドおよびチェコ共和国加盟させて拡大しその後もさらに東方進んだ。さらにアメリカ政策は、1994年効力発揮した北アメリカ自由貿易協定NAFTA)でうたっている新自由主義ワシントン合意」を強調するようになったアメリカ合衆国テロ支援したり、大量破壊兵器拡散することに関わったり、あるいは重大な人権侵害を行う国に経済制裁発動することが多くなった。この動きには、1989年六四天安門事件大衆武力弾圧した中華人民共和国対す武器販売課した禁輸措置や、イラククウェート侵攻した後で課した制裁措置のように合意を得るものもある。しかしイランキューバ課したような多国間制裁に関して限定的であり、アメリカ国内法侵犯した外資企業罰するために連邦議会新しい法を課すことになった国際政治学者サミュエル・P・ハンティントン1999年に「フォーリン・アフェアーズ」誌に寄せた論文で、この冷戦後世界の状況強化するために次のように記したアメリカ合衆国は、多く事項なかでも次のような事項多かれ少なかれ多国間試み、あるいは試みていると認識されてきた。他国人権民主主義に関してアメリカ価値観採用し実行するように促すこと。他国アメリカ伝統的優越性対抗できるような軍事力を持つことを阻止すること。他の社会国境越えてアメリカの法を強制すること。人権薬物テロ核拡散ミサイル拡散および信教の自由に関してアメリカ基準に従う程度他国格付けすること。これらの問題アメリカ基準従わない国を制裁すること。自由貿易開放市場というスローガンアメリカ企業利益上げること(NAFTAGATT関税と貿易に関する一般協定)が1990年代自由貿易政策主要例である)。上述企業利益のために世界銀行国際通貨基金政策形作ること。比較直接関心が薄い地域紛争介入すること。海外へアメリカ製武器販売促進し他国による同様な販売阻止しようとすること。国際連合事務総長ブトロス・ブトロス=ガーリ)を更迭し、後任指名指示すること。NATO当初ポーランドハンガリーおよびチェコ共和国を含むように拡大し、その他は容れないこと。イラクに対して軍事行動を採り、後にはその政権に対して厳し経済制裁維持すること。および特定の国を「ならずもの国家」に分類し世界的制度からは排除すること。 アメリカ政策に関する別の影響力ある解説者マックス・ブートは、冷戦後のアメリカ合衆国の大変大望ある目標について次のように論じている。 専制国家として知られる国に民主主義植え付けること、そうすることでテロ武力侵略および兵器拡散防止できる期待すること。 さらに次のようにも付け加えている。 これは実行中の大望である。その最も成功した例は第二次世界大戦後ドイツイタリアおよび日本である。これらの場合アメリカ軍軍事独裁制の国を自由な民主主義変えることに貢献した。これは20世紀における最も重要な発展一つである。

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冷戦の終結

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東欧革命」の記事における「冷戦の終結」の解説

東欧革命は、イデオロギー抗争という面を持った冷戦を終わらせた。特にベルリンの壁の崩壊によって、冷戦最大懸案事項になっていたベルリン問題解決目処付いたことが、理由としては大きい。1989年12月3日マルタにおいてアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュソ連共産党書記長当時)のミハイル・ゴルバチョフ会談マルタ会談)を行い、冷戦の終結が宣言された。冷戦の終結の意義は、世界史的に見てきわめて大きい。 そして、東欧革命から2年後1991年7月1日にはワルシャワ条約機構廃止され同年12月25日にはソビエト連邦崩壊した。そして、ソビエト連邦崩壊すると、米露大国による「核兵器による平和」は崩壊しインドパキスタン始め世界中核兵器拡散した

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