冷戦の終結と新たな挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:33 UTC 版)
「ポルトガル共産党」の記事における「冷戦の終結と新たな挑戦」の解説
2000名以上もの代議員が参集した1988年の第12回党大会では、「21世紀に向けてポルトガルに進歩した民主主義を」と題する綱領を採択。しかし、1980年代末以降東側陣営は崩壊の一途をたどったほか、離党者も相次ぐなど、党自体が結党以来最大の危機を迎える。こうした中1990年5月に開かれた第13回党大会では、代議員の大多数がレーニン主義を堅持する方針を決定したものの、他国の共産党と少なからず軋轢を生むこととなった。また、クニャルが書記長に再選、カルロス・カルヴァリャスが副書記長に就任した。 1991年の議会選挙でも凋落が止まらず、得票率が8.84%に落ち17議席を得るに留まった。ソ連消滅後の世界情勢を分析した翌年の第14回党大会では、クニャルに代わりカルヴァリャスが新書記長に選出された。1995年の議会選挙では8.61%まで得票率が下落。この後右派の社会民主党が敗北し、社会党が政権を担うことになるが、1996年12月に開催された第15回党大会では、アントニオ・グテーレス政権の右傾化を批判した。続く地方選挙でも党勢の挽回が叶わなかったが、1999年の議会選挙では久しぶりに得票率が増えた。 翌年12月に開かれた第16回党大会では、カルヴァリャスが書記長に再選された。2002年の議会選挙では7.0%と過去最低の得票率を記録した。2004年11月、第17回党大会が開かれ、元金属労働者のジェロニモ・デ・ソウザが新書記長に選ばれた。2005年の議会選挙では、7.60%(430,000票)と得票率を上げ230議席中12議席を獲得した。同年行われた地方選挙の後、308自治体中32自治体で与党となった。与党となった自治体では水道事業の民営化阻止や文化や教育、社会福祉予算の拡充に努めている。 現在はセーフティーネットの拡充や年金・給与の引き上げ、反戦運動に取り組むほか、妊娠中絶については合法化の立場から運動を行い、その結果2005年4月21日には国民投票実施にまで漕ぎ着けた。2004年の欧州議会選挙では9.2%の得票率を得て2名が当選した。2005年の議会選挙では7.54%の得票で14議席を獲得。2009年の欧州議会選挙では前回より得票を伸ばし2議席を獲得した。そして同年の議会選挙では15議席を獲得したが、新左翼の左翼ブロック(B.E.)が16議席を獲得したため第5党となった。
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