冷戦の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 15:08 UTC 版)
その後の冷戦下で発生した朝鮮戦争に中華人民共和国が介入して西側世界から孤立すると、香港が中華人民共和国にとって西側世界との唯一の窓口となった。このような状況は1967年に起きた文化大革命の終焉まで続くこととなった。文化大革命や大躍進政策などにより、多くの人が香港に逃れた。これらの人により香港の人口は急増した。これらの人を逃港者という。 文化大革命が起こると、香港でも中国共産党の影響下にある住民を中心にした暴動が発生し、紅衛兵が深圳方面から越境し、イギリス軍や香港警察と国境付近で小規模な銃撃戦が起こることもあった。さらに暴動を鎮静化させる過程でデモ隊に負傷者が出ると、これに対する謝罪を中国共産党政府が香港政庁に要求し、さらに人民解放軍部隊を国境付近に移動させるなどの恫喝を行った。しかし間もなく共産党政府のナンバー2で穏健派の周恩来が「長期的な利益から香港を回収しない方針」を明らかにし、六七暴動は沈静化した。
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