冷戦下でのモンロー主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 03:27 UTC 版)
「モンロー主義」の記事における「冷戦下でのモンロー主義」の解説
1934年に第一次世界大戦後のバナナ戦争を終結させたフランクリン・ルーズベルト大統領によってラテンアメリカ諸国に対して内政干渉を行わないとする善隣政策が行われたが、第二次世界大戦後の1948年3月12日に発効した米州相互援助条約は冷戦構造を反映するものとなった。1951年12月13日に発効したボゴタ憲章(米州機構)によって、ラテンアメリカ諸国を軍事的にも経済的にも西側陣営に組み込んでいった。 また、1958年にはアメリカ合衆国の極右的な半秘密組織としてロバート・ヘンリー・ウィンボーン・ウェルチ・ジュニアを中心にジョン・バーチ・ソサエティが設立され、対外援助廃止やNATO脱退、国連反対など孤立主義的な運動を展開した。 冷戦時代でも以下のような中南米各国への棍棒外交的な介入が行われた。 PBSUCCESS作戦 ピッグス湾事件 アメリカ軍によるドミニカ共和国占領 (1965年-1966年) チリ・クーデター コントラ戦争 グレナダ侵攻 パナマ侵攻
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