ピッグス湾事件とは? わかりやすく解説

ピッグス湾事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 01:14 UTC 版)

ピッグス湾事件(ピッグスわんじけん、スペイン語: Invasión de Bahía de Cochinos英語: Bay of Pigs Invasion)は、1961年に在米亡命キューバ人部隊がアメリカ合衆国CIAの支援の下でグアテマラで軍事訓練の後、キューバに侵攻してフィデル・カストロ革命政権の打倒を試みた事件[1]


注釈

  1. ^ この亡命キューバ人部隊の名称は様々であるが、アメリカでは『二五〇六部隊』と命名されていた。「チェ・ゲバラ」井高浩昭 著 149P参照
  2. ^ 1959年1月7日にアメリカはこの政権を承認している。
  3. ^ 制裁は国際連合総会からの非難と再三の解除要求決議にも拘らず50年以上解かれなかったが、2015年7月に国交を回復した。
  4. ^ 落合信彦著「2039年の真実」では4月4日に開催したことになっているが、フレデリック・ケンプ著「ベルリン危機1961」上巻では4月5日に開催したことになっている。またこの作戦計画にゴーサインを出したのは3月11日で、4月5日に会議を開き、4月7日にケネディはトルーマン政権で国務長官だったアチソンに、このキューバでの作戦計画を明らかにしている。それに対してアチソンは衝撃を受けて「クレイジーだ」と語っている。「ベルリン危機1961」上巻 219-220P
  5. ^ ジョンソン副大統領、ラスク国務長官、マクナマラ国防長官、ロバート・F・ケネディ司法長官らに説得され、作戦の実行を決意した」との言説があるが、陸海空三軍の最高司令官である大統領が閣僚に説得されて作戦実行を決めたなど、およそ奇妙な話である。統合参謀本部議長やCIA長官が説明して大統領が裁可するのであって、合議制のもとで決定しているのではない。この時も重い疑念を持ちながらも前任のアイゼンハワーが進めた作戦であり、実行はケネディ大統領自身の判断であった。そしてこの苦い経験が、翌年秋のキューバ危機で最後の土壇場で空爆支持が閣僚も含めて多数を占めても、大統領が1人反対して強いリーダーシップを発揮することとなり、後にケネディへの高い評価となって表れている。
  6. ^ 作戦実行の3カ月前の1961年1月10日にニューヨークタイムズ紙が紙面で、グアテマラ北部の密林で外国軍事顧問団が侵攻部隊を訓練している、と報じていた。マイアミのキューバ人地域では早くもカストロ政権崩壊後の新政権首班が誰になるかの話で持ち切りであった、と言われている。井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」149P 参照
  7. ^ H・M・エンツェンベルガー著「ハバナの審問」では、大統領にホセ・ミロー・カルドーナで、首相にマヌエル・アントニオ・デ・バロナを予定していた。カルドーナはカストロとともに革命に参加して革命後に1959年にキューバ首相に就任した。バロナは1948年にキューバ首相を歴任している。

出典

  1. ^ デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年2月17日閲覧。
  2. ^ 小項目事典, ブリタニカ国際大百科事典. “コチノス湾侵攻事件(コチノスわんしんこうじけん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月22日閲覧。
  3. ^ a b 井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」 99P
  4. ^ 井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」 129P
  5. ^ 井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」 128P
  6. ^ 落合信彦著「2039年の真実」167P
  7. ^ a b フレデリック・ケンプ著「ベルリン危機1961」上巻 243P
  8. ^ フレデリック・ケンプ著「ベルリン危機1961」上巻 241-243P
  9. ^ ドン・マントン、デイヴィッド・A・ウェルチ共著「キューバ危機」47P
  10. ^ ドン・マントン、デイヴィッド・A・ウェルチ共著「キューバ危機」46-47P
  11. ^ イグナシオ・ラモネ著「フィデル・カストロ~みずから語る革命家人生~」上巻 288P参照
  12. ^ a b イグナシオ・ラモネ著「フィデル・カストロ~みずから語る革命家人生~」上巻 304P 【訳注】参照
  13. ^ 井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」 151P
  14. ^ イグナシオ・ラモネ著「フィデル・カストロ~みずから語る革命家人生~」上巻 294P 参照
  15. ^ 仲晃 著「ケネディはなぜ暗殺されたか」 48P
  16. ^ 仲晃 著「ケネディはなぜ暗殺されたか」 49P
  17. ^ ギャレス・ジェンキンス著「ジョン・F・ケネディ、フォトバイオグラフィ」333P
  18. ^ フレデリック・ケンペ著 「ベルリン危機1961」上巻 316-317P


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ピッグス湾事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:11 UTC 版)

キューバ危機」の記事における「ピッグス湾事件」の解説

これに先立つ1960年3月キューバソ連への接近憂慮しアイゼンハワー大統領CIAは、カストロ政権転覆計画秘密裏開始したキューバ革命母国脱出してきた亡命者1,500人を「解放軍」として組織化し1954年CIA主導したPBSUCCESS作戦」により親米軍事政権成立していたグアテマラ基地において、ゲリラ戦訓練行ったアメリカの軍事援助資金協力の下でキューバ上陸作戦敢行させるためであったアイゼンハワーはすでに退任間近だったためこのキューバ問題から手を引きその後リチャード・ニクソン副大統領CIAアレン・ダレス長官らによって作戦計画進められた。 そして、兵員数物資圧倒的に劣勢であったカストロ軍がキューバ政府軍に勝つためには、アメリカ軍介入が必要と見たCIA作戦計画にこれも組み入れていた。表面的に亡命したカストロ軍が故国キューバ独裁政権倒しカストロ追放するという目的そのままであったが、元の計画ではキューバ国内での反政府グループ支援見込んで、またカストロ体制がまだ盤石ではないと予測していた。 そして1960年11月大統領選挙当選し1961年1月20日ジョン・F・ケネディ大統領就任すると、カストロ政権転覆計画CIA軍部から説明受けた。この時に「あくまでアメリカ軍直接介入するではなくCIA援助のもとに亡命キューバ人が組織したカストロ軍が進め作戦」として説明受けたケネディその通り理解しアメリカ軍正規軍直接介入しないことを条件作戦許可した作戦2つ段階があり、最初4月15日に、「払い下げ品の」旧型アメリカ軍爆撃機仕立てた亡命キューバ人部隊が、キューバ空軍飛行場爆撃し壊滅させて制空権奪い4月17日ピッグス湾(コチーノス湾)に艦船援助受けて上陸作戦実行する予定であった。 ところが、4月15日行われた最初空爆作戦失敗制空権確保できないまま、4月17日1400人の亡命キューバ人部隊がピッグス湾に上陸した時に上陸予想したキューバ政府軍の反撃遭い、さらに空からキューバ空軍攻撃を受け、沖合待機した艦船撃沈弾薬食糧欠乏する事態の中で海岸部隊孤立してしまった。 ここで当初正規部隊介入しない」と軍とCIAケネディ大統領説明していたにも拘らず亡命キューバ人部隊の劣勢受けて状況挽回するために正規軍介入させたい」と軍が主張するも彼は拒否結局亡命キューバ人部隊は1189名が捕虜となり、114名が戦死するなどして壊滅作戦完敗終わった。さらに、最初爆撃アメリカ軍正規軍が関わっていることが明らかになって、世界からアメリカ非難集中した。 この「ピッグズ湾事件」の直後4月28日に、ケネディは「西半球における共産主義者とは交渉余地がない」としてキューバ対す経済封鎖実施発表した。なおアメリカのこれらの軍事侵攻経済制裁実施受けてキューバ政府先の革命社会主義革命であることを宣言しアメリカ挑発答えた1962年初めに米州機構から追放された。

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