転覆
政権転覆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
事変の詳細及び首謀者をめぐる諸説については「甲午農民戦争」を参照 大院君はなおも諦めず、全琫準を通じて東学党の指導者と引見し、穏健派の指導者数名に自らを摂政に復位させる事を約束させた。1894年に勃発した甲午農民戦争は大院君が事大党の閔妃派を駆逐するために起こさせたともいわれる。清・露を後ろ盾とする閔妃派に対し、両国と対抗する日本を味方につけることを画策した大院君は、同年6月22日、側近2人を公使館へ送り込み、閔妃の廃位及び閔妃派の官職追放について大鳥圭介日本公使の同意を得ようとするが、日本側はなかなか返答せず、永宣君を日本公使館に送り込み説得させようとするが、この間に杉村書記官をはじめとする日本公使館要員が反対したため、大院君は挫折した。 閔妃派を宮中から除くことに失敗したが、執権を掌っている大院君はあきらめず、永宣君を別入直待令医官に任命することで高宗及び閔妃を監視し、閔妃の廃位を画策する。だがこの頃、甲午農民戦争は鎮圧される。大院君は驚くものの、日本側から摂政にたてることを約束され、日本軍の護衛で宮中に出廷した大院君は再度執権を掌握し、甲午農民戦争の首謀者の一件については、国父だという不文律でまたしても免れる事ができた。
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