政権運営と失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 14:43 UTC 版)
1983年6月、グクーニ派はリビア支援の下で南下して再び内戦となり、1984年9月の停戦で北緯16度線でチャドを南北に分割支配することとなる。ハブレはフランスとザイール、アメリカの支援で対抗する一方、反政府勢力への残虐な弾圧が指摘された。チャド政府の調査委員会によると、ハブレ政権下で数万人の反体制派が殺害されたと発表している。 1989年4月、大統領側近によるクーデター未遂事件が発生し、このクーデターで亡命を強いられたイドリス・デビが、リビア支援下で愛国救済運動(MPS)を結成、1990年12月に首都ンジャメナを制圧し、ハブレはセネガルへ亡命した。
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