政次の死と井伊家の滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:31 UTC 版)
「おんな城主 直虎」の記事における「政次の死と井伊家の滅亡」の解説
永禄11年(1568年)今川を支える寿桂尼が死ぬ。甲斐の武田信玄と、三河の松平元康改め徳川家康による今川領への侵攻の機運が高まる。直虎と政次は、井伊の安堵に精力を傾け、徳川に遠江侵攻時の恭順を約束。人質としてしのを徳川家臣の松下家に再嫁させる。一方、余裕の無い今川は、再び徳政令発布を命じ、直虎から井伊谷を強引に取り上げ直轄とする。政次は奸臣を演じて今川に取り入り、井伊谷の城代となる。二人は、徳川の下での井伊家復興を誓う。 武田の駿河侵攻と徳川の遠江侵攻が始まる。徳川の道案内役近藤康用は、偽計でもって井伊の裏切りを演出し、井伊谷を強奪する。武田と競う徳川は、疑いつつも近藤に井伊谷を任せる。一度は逃れた政次は、代わりに捕えられた直虎を救うため自ら近藤に捕まり、すべての罪を一人で背負い磔となる。処刑の時、尼として立ち会った直虎は、近くの槍を奪い政次の左胸を突く。二人は呆然とする人々の前で激しく罵り合い、井伊を欺いた家老として政次の一生を終わらせる。これにより井伊への咎は収まる。直虎は苦悩のあまり前後の記憶を失い、政次との碁を心待ちにする。しかし彼の辞世を読み記憶を取り戻し、悲嘆する。 遠江侵攻を続ける徳川は、龍雲丸の一党を含め、気賀の民を虐殺する。虐殺の現場から、直虎は瀕死の龍雲丸を見つけ龍潭寺の僧と共に救い出す。同じく失意の龍雲丸と共に、直虎は政次の死から徐々に立ち直る。それでも彼女は、これ以上の悲劇の回避を理由に、井伊家の再興を断念する。虎松はその決定に反発しながらも、しのが嫁いだ松下家を頼る。同じ頃、今川家も滅亡する。直虎は、龍雲丸の求愛を受け還俗し、農婦として生きることを決意する。しかし数年後、井伊谷への武田侵攻から民を守りきった彼女の姿を見た龍雲丸は、その思いを察し彼女を残して堺へ旅立つ。
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