冷戦下のイギリス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 14:29 UTC 版)
第二次世界大戦終結後、ヨーロッパは自由主義国家群の西ヨーロッパと、社会主義国家群による東ヨーロッパの2つに分裂した。この状況を指して「バルト海のシュテッティンから、アドリア海のトリエステまで、ヨーロッパを分断する鉄のカーテンが下ろされている」と言ったのはチャーチルである。東ヨーロッパの盟主はソビエト連邦(ソ連)であったが、もはやイギリスに西ヨーロッパのリーダーとなる国力はなかった。西ヨーロッパの戦後復興をリードし、自由主義陣営の盟主となったのはアメリカ合衆国であった。1947年のトルーマン・ドクトリンとマーシャル・プランがアメリカからヨーロッパに提唱されたことは、西ヨーロッパにおいてアメリカの存在が不可欠であることを如実に示していた。このアメリカを筆頭とする資本主義・自由主義陣営である西側諸国と、ソ連を筆頭とする社会主義・共産主義陣営である東側諸国の、直接戦火を交えない対立が冷戦である。以降1989年までのイギリス史は、基本的にこの冷戦の枠組みの中で進展していくことになった。 1949年、西ヨーロッパの新しい安全保障の枠組みとして北大西洋条約機構(NATO)が発足した。イギリスはこれに原加盟国として参加し、アメリカの「核の傘」の中に入ることになった。また、イギリス自身も1952年に独自の核兵器保有を実施している。
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