冷戦以後の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:26 UTC 版)
ファシズムも、冷戦下における東欧の共産党政権も、国家と党が社会のあらゆる領域にまで干渉して支配・統制するという点では同様であった。(どちらの体制も国家が個人を否定して、政治・経済・社会を完全に統制下におく全体主義へと至る可能性があった。)この点で、上述のグラムシの見解は先見的であったといえる。こうした状況下で市民的自由を確保するためには、従来の共産党・労働組合を主体にした一極型の運動ではなく、日常にまで官僚制やマスメディアを通じて干渉をはかる国家権力に対して、市民の日常生活にかかわる諸団体がネットワークを結んで多極的な抵抗運動を展開すべきだという考えが形成されていった。とりわけ、共産党が市民を抑圧した東欧において、1989年に共産党独裁政権があいついで崩壊した(東欧革命)ことと、その際に市民諸団体が活躍したことは、こうした議論を活性化させていった。
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