ラテンアメリカ諸国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 08:13 UTC 版)
「ソビエト連邦の外交関係」の記事における「ラテンアメリカ諸国」の解説
ソ連から地理的に遠いラテンアメリカは、第二次大戦前は関係の希薄な地域で、当時ラテンアメリカ諸国で誕生したいくつかの左派・民族主義的な政権に対して、ソ連は効果的な支援は行えなかった。しかし、1959年に民族主義者のフィデル・カストロがキューバで革命に成功し、彼を打倒しようとしたアメリカの工作が全て失敗すると、ソ連はカストロに接近し、1960年には外交関係を樹立し、1961年にはカストロに社会主義宣言を行わせる事に成功した。ソ連のフルシチョフ政権はキューバに中距離核ミサイルを搬入したが、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はこれを阻止するためにキューバ経済封鎖を実施し、キューバ危機と呼ばれる全面核戦争寸前までの状態に陥った。この時はフルシチョフの妥協で核ミサイルが撤去され、頭越しの決定に反発したキューバ政府との関係は一時冷却化したが、その後も経済支援や軍事支援などでソ連はキューバを支え続け、キューバはソ連の代理としてラテンアメリカやアフリカでの民族解放闘争で大きな影響力を保った。この他、ニカラグアでは1979年に成立したサンディニスタ民族解放戦線の革命政権を支持した。
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