ラテンアメリカ諸国連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 06:59 UTC 版)
「シモン・ボリバル」の記事における「ラテンアメリカ諸国連合」の解説
南アメリカ大陸のすべてのスペイン領が独立したことで独立戦争が終結すると、ボリバルは1824年末、南アメリカ大陸の新独立国家群に独立保全のための協議を行うよう提案した。1826年にこの会議は実現の運びとなり、南北両アメリカ大陸の結節点となる大コロンビア共和国のパナマ市において6月22日から7月15日までパナマ議会(スペイン語版、英語版)が開催された。会議の参加国は大コロンビア、ペルー、中央アメリカ連邦、メキシコの4か国だった。オブザーバーとしてイギリスとオランダが参加したが、アメリカ合衆国は招かれたものの会議に間に合わず結局欠席となった。南アメリカ南部のチリ、アルゼンチン、ブラジルはボリバルの影響力拡大を懸念して参加せず、孤立していたパラグアイにはそもそも招待状が送られなかった。この会議においては参加各国の相互防衛条約が締結され、また市民権の相互承認や域内戦争の禁止、奴隷貿易の禁止などが可決された が、この条約は大コロンビアの議会しか批准せず、ボリバルの構想した相互防衛の枠組みは成立しなかった。
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