ラテンアメリカ諸国の独立とは? わかりやすく解説

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ラテンアメリカ諸国の独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 14:22 UTC 版)

スペイン・ブルボン朝」の記事における「ラテンアメリカ諸国の独立」の解説

詳細は「ラテンアメリカ諸国の独立」を参照 フランス革命戦争ナポレオン戦争スペイン革命自由主義思想もたらしたが、スペイン領であったラテンアメリカ諸国にまで及ぶことになった。新思想に最も染まったのがクリオーリョであり、彼らは本国スペインに対して独立戦争起こしたプエルトリコキューバを除く全ラテンアメリカ諸国独立達成しスペイン広大な植民地、そして市場を失うに至った半島戦争に次ぐ大打撃であった

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ラテンアメリカ諸国の独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 14:06 UTC 版)

近代における世界の一体化」の記事における「ラテンアメリカ諸国の独立」の解説

詳細は「ハイチ革命」、「ラテンアメリカ」、および「アメリカ大陸諸国の独立年表」を参照 15世紀から16世紀にかけてスペインポルトガルによって植民地化されたラテンアメリカでは銀や金の採掘や、プランテーション農業による砂糖カカオ生産インディオ黒人奴隷労働によって行われた生産された富はヨーロッパ流入して価格革命商業革命引き起こし、この重商主義過程西ヨーロッパ諸国資本の本源的蓄積担ったが、ラテンアメリカ現地では資本流出により、経済従属周辺化が進み鉱山プランテーションでの奴隷労働により、民衆困窮続いたこのようにスペイン植民地支配による暴力制度されていたペルー副王領において、1780年にはインカ皇帝の子孫だったトゥパク・アマルー2世大規模な反乱起こした。この運動スペイン政府軍によって鎮圧されたものの、後の南アメリカ独立運動の萌芽となった1789年勃発したフランス革命の影響により、イスパニョーラ島仏領サン=ドマングでは「黒いジャコバン」の異名をとったトゥーサン・ルーヴェルチュールらによるハイチ革命1791年-1804年)が繰り広げられた。フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト革命によって廃止され奴隷制復活し、島の再植民地化図ったが、フランス軍黒人軍に敗れ1804年ジャン=ジャック・デサリーヌによって世界初自由黒人共和国としてハイチ建国された。独立後のハイチイスパニョーラ島東部スペイン領サント・ドミンゴ征服して奴隷制廃止したが、独立承認されるためにフランス莫大な賠償金課されたことや、奴隷制存続する白人国家による自由黒人国家への敵視政策により、経済衰退し植民地時代水準には及ばなかった。サント・ドミンゴ賠償金支払いのために圧政続けハイチからの独立望み1844年ドミニカ共和国として独立したラテンアメリカ諸地域では、18世紀末アメリカ合衆国の独立およびフランス革命ハイチ革命影響を受け、自由主義思想流入し折からスペインによる貿易統制を嫌い、自由貿易求めていたクリオージョ現地生まれ白人)達の間で独立の気運高まった1808年半島戦争によって本国スペインナポレオン帝国服し、また大陸封鎖令によって南北アメリカ旧宗主国との連絡途絶えて自立化促された。イスパノアメリカスペイン語圏アメリカ)のベネズエラエクアドルボリビアコロンビアアルゼンチン、チリメキシコなどでは、1809年から1810年にかけてクリオージョ大地主貿易商人主導権握ってナポレオン服属したスペイン政府からの自治宣言したアメリカ合衆国米英戦争によってイギリスからの政治的独立続いて経済的自立図った独立運動スペイン権力による監視弱かった南米大陸南部ブエノスアイレスアルゼンチン)と、南米大陸北部カラカスベネズエラ)を軸に進みクリオージョ達は北部ではフランシスコ・デ・ミランダアントニオ・ナリーニョシモン・ボリーバル南部ではホセ・ヘルバシオ・アルティーガスやベルナルド・オイギンスホセ・デ・サン=マルティンメキシコではミゲル・イダルゴホセ・マリア・モレーロスによって率いられシモン・ボリーバルボリーバル主義ラテンアメリカ統一主義)の下に1819年から1830年までベネズエラコロンビアパナマエクアドルが一体となった大コロンビア共和国成立した南北から迫る南米大陸独立運動南部サン=マルティン主導した1821年ペルー独立以降北部ボリーバルによって引き継がれ1825年ボリーバルスクレによってボリビア独立したことにより終焉した。ラテンアメリカ北部では、1810年代独立軍全て鎮圧されていたが、1820年スペイン本国でのリエゴ革命によって軟化した本国政府自由主義的態度嫌ったメキシコ保守的なクリオージョ寡頭支配層は、保守支配続けるために1821年メキシコ帝国建国し、独立したメキシコ独立倣い中央アメリカでも1823年中央アメリカ連邦独立した一方ポルトガル領だったブラジルでは1807年ナポレオン軍によるリスボン占領により、ブラガンサ王家ポルトガル宮廷貴族大挙してポルトガルからブラジル首都リオデジャネイロに亡命しポルトガルブラジルにその中心移した1810年代には周辺イスパノアメリカ諸国独立運動盛んになったが、ブラジルではナポレオン戦争後もポルトガル宮廷帰還しなかったため、ブラジルの独立を望むクレオール白人ブラガンサ王家ドン・ペドロ皇太子皇帝擁立して1822年ブラジル帝国独立したこうしたラテンアメリカ動きに対してウィーン体制によって復古的な秩序立て直した西欧列強干渉しようしたためアメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローは、1823年ヨーロッパとアメリカとの相互不干渉宣言した。これがモンロー宣言である。一方コロンビア共和国大統領シモン・ボリーバルラテンアメリカ独自にヨーロッパからの相互不干渉を図るために1826年パナマ議会スペイン語版英語版)を開催したが、ラテンアメリカ諸国政治同盟によるヨーロッパからの防衛画策しパナマ議会失敗終わったフランス外相タレーラン唱えた正統主義、すなわち旧体制への復帰は、植民地にとっては益がなかった。 これらの諸国独立運動は、いずれもスペイン・ポルトガルからのラテンアメリカ市場開放を望むイギリスによって支援されており、独立後の諸国イギリス産業革命による強い生産力イギリス海軍による大西洋制海権の確保背景に、政治支配なき経済進出図ったイギリス外相ジョージ・カニングモンロー宣言支持してラテンアメリカ諸国の独立を承認したウィーン体制はむしろラテンアメリカから破綻し始めたといえる。これは、ラテンアメリカ諸国イギリス市場とし、後にイギリスの「非公式帝国」と呼ばれるようなイギリスによるラテンアメリカ経済支配確立するための措置だった。 ブラジル以外のほぼ全て地域において、ラテンアメリカではスペイン語共通語としていたが、広大相互に交通不便な植民地は、それぞれ地域ごとに市場成立し、各市場範囲内にてナショナリズム成立したため、18共和国分かれて独立したポルトガル語使用言語とするブラジルのみはポルトガル王家皇帝戴くブラジル帝国として独立したラテンアメリカにはスペイン語ポルトガル語という起源同じくする言語を話す人々存在し、共通の言語文化カトリック信仰によって結ばれていたが、統一したナショナリズム生み出すに足る全ラテンアメリカ包括する経済共同体を築くことができなかったために、各国分裂して独立することになったイスパノアメリカ諸国共和政体をとり、今日ラテンアメリカ諸国大枠は、1828年ウルグアイ独立と、1830年大コロンビア崩壊により、ベネズエラエクアドルヌエバ・グラナダ現在のコロンビア)が分離したことにより、ほぼ1830年までに成立したその後1838年中央アメリカ連邦グアテマラホンジュラスニカラグアコスタリカエルサルバドルの五国に分解し1903年セオドア・ルーズヴェルト合衆国大統領棍棒政策によってコロンビアからパナマ分離し中央アメリカに付け加えられた。また、カリブ海に浮かぶ島国キューバプエルトリコこの後19世紀末米西戦争までスペイン帝国植民地として残った後、キューバ1902年独立しプエルトリコアメリカ合衆国による統治続いている。こうして独立した国家はしばらく内戦が続く不安定な状態が続いた後、1870年代頃から漸く安定兆し見せることとなった近年ハイチやラテンアメリカ諸国の独立をアメリカ独立革命フランス革命関連づけ、18世紀後半から19世紀初めにかけての一連の革命一括し環大西洋革命として位置づける見方強調されている。

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