解放戦争から独立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 04:37 UTC 版)
「近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」および「ボリビア独立戦争」も参照 1809年 ラパスとチュキサカでクリオーリョによる独立運動が起こる(ラパス革命(スペイン語版、英語版)、チュキサカ革命(スペイン語版、英語版))。ボリビア最初の独立運動であり、キトと共にラテンアメリカで最も早かった。 1810年 ラパスで起きていた革命運動は、ペルー副王アバスカルの指導によりすぐに王党派に鎮圧され、革命評議会のペドロ・ドミンゴ・ムリーリョは処刑された。その後リオ・デ・ラ・プラタ連合州が独立派に支援軍を送るがことごとく王党派軍に打ち破られた。 1816年 トゥクマンの議会(英語版)により、リオ・デ・ラ・プラタ連合州が独立を宣言する。アルト・ペルーの代表者も出席した。 1823年 再び独立戦争始まる。 1824年 シモン・ボリバルとアントニオ・ホセ・デ・スクレの率いるベネズエラからのコロンビア共和国の解放軍により、副王ホセ・デ・ラ・セルナ(チェ・ゲバラの先祖)の率いる王党派軍がアヤクーチョの戦い(英語版)で壊滅。インディアス植民地の最終的な独立が確定する。 1825年8月6日 ボリバルの協力により、スクレ元帥がアンドレス・デ・サンタ・クルスと共に、アルト・ペルーをスペインから解放した。アルト・ペルーの支配層はそれまで同一の行政単位を構成していたペルーやアルゼンチンとの連合を望まなかったため、チュキサカでアルト・ペルー共和国の独立が宣言された。8月26日ボリビア共和国と改名した。
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