アンドレス・デ・サンタ・クルスとは? わかりやすく解説

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アンドレス・デ・サンタ・クルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 04:26 UTC 版)

アンドレス・デ・サンタ・クルス
Andrés de Santa Cruz y Calaumana


任期 1827年1月27日1827年6月9日

任期 1829年5月24日1839年2月20日
副大統領 ホセ・ミゲル・デ・ベラスコ英語版(1829 - 1835)
マリアノ・エンリケ・カルボ英語版(1835 - 1839)

ペルー
暫定大統領
任期 1836年8月11日1838年8月25日

ペルー・ボリビア連合
初代 最高護民官
任期 1836年10月28日1839年2月20日

出生 1792年12月5日
リオ・デ・ラ・プラタ副王領アルト・ペルー Huarina
死去 1865年9月5日
フランス第二帝政 ボーヴォワール

アンドレス・デ・サンタ・クルス・イ・カラウマナ (Andrés de Santa Cruz y Calaumana,1792年12月5日 - 1865年9月5日)は、ボリビアの政治家、軍人。

スペイン人を父にインカ王族の血を引く先住民を母としてアルト・ペルー(現在のボリビア)のHuarina村で生まれた。軍人となりスペイン領アメリカの独立戦争が勃発すると当初はスペイン副王軍に従軍してと独立派と戦ったが破れ降伏した。1821年からはシモン・ボリーバルの配下となり独立派に身を投じ、セピタの戦いでその軍事的な才能を遺憾なく発揮した。1825年8月6日、アントニオ・ホセ・デ・スクレと共に、アルト・ペルーをスペインから解放し新国家「ボリビア共和国」を誕生させた。

スクレが国外にさった後はその後継者となり1829年にボリーバルの推薦を受けて第6代大統領に就任。国土の安定を目指して強権をもって経済を建てなおし国内の開発を続け、軍備を強化した。隣国ペルーの内戦に介入し勝利をおさめ1836年に同国を併合してペルー・ボリビア連合を結成。自らは終身・世襲の連合護民官になった。

しかし、このことに危機感をもったチリと戦争になり、ユンガイの戦いに敗れ、1839年に失脚(ペルー・ボリビア連合は崩壊しボリビアはしばらくの間、無政府状態に陥った)した。エクアドル経由でフランスへ亡命しその後も何度か再起を試みるが果たせず1865年に死去した。





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